🗓 2023年09月27日

色々調べていたら1915年10月15日(大正4年)に野口英世が同志社女学校で講演していたことがわかりました。野口英世記念会の森田学芸員が教えてくれたのである。

これで八重と野口英世が会っている可能性が大きくなってきました。会津大好きの八重さんで、流行りものの大好きな八重さんが同志社女学校に行かないはずはありません。

その後の調べで野口英世が同志社女学校で講演を行ったときに秋山角弥はまだ磐城にいたことが分かった。いわき女学校の後身であるいわき桜ケ丘高校の同窓会誌に大正13年には在籍していたことが記載されていたからだ。この時点で八重と秋山角弥の接点はなかったはずだ。角弥が京都會津会に入会し、幹事をやっていたころ親しくなっただろうが、交通が発達していない時代、猪苗代の神主の息子と会津藩の武士の後裔の接点を探し出すことは困難である。同志社女学校で郷里会津の医聖が講演するとなったら八重さんは見逃すはずはない。いの一番に同志社女学校に駆け付けたのではないか。

(文責:岩澤信千代)