🗓 2024年06月29日
私が生まれた時から庭の西端に寒椿の木がある。隣の家にも同じ寒椿がある。二本の寒椿を見て私は育ったということになる。雪の残る季節に花を咲かせるのでうれしい気にさせられてきた。
今日早く起きたのでタバコを吸いながら庭を見ていて気が付いた。まず、南天の木がふさふさと茂っていたのを見て電動カッターで枝を削いだ。そして見たら椿の木がいつの間にか7本以上あちこちにあるではないか。南天は「難を転ずる」ということで人気があるものでいつも親しみを感じ、赤い実をつけると家の生け花にもしていた。
だが椿は、花弁がぽとりと落ちる。従って庭木には適さないと言われて来た。何故なら特に武士の家では首をはねられるのが連想されるので庭には植えてはならない木とされてきたようだ。だから、ピンク色の美しい花を咲かせる椿をきれいだなと思っても忌わしい木と感じて育ってきた。そして7本も子孫繁栄しているのを今日発見したのである。そして調べたら寒椿の花言葉は「寂しさ」「寂しさと悲しみ」だと。
「首がポトリ」と「寂しさ」といいことがないではないか。車のナンバー358の問題が解決されたと思ったら。今度は椿を引っこ抜くかどうかの問題である。一生懸命子孫を残そうとしている椿をなくすかどうか難問である。このままにしておくと30坪足らずの狭い庭が椿に占領されるかもしれない。困ったもんだと首を撫でた。まだ体とつながっている。
(文責:岩澤信千代)