私はいなかったが最後のクラス会が行われた金城庵に集まった。
故人となった2名に黙祷して乾杯になった。
第2外国語にドイツ語を選んたメンバーだ。50人のクラスなのだが5名が弁護士になり2名が参加した。
新横浜から直通で渋谷に行き、高田馬場からバス。学校までの風景は変わらず、相変わらず早稲田には門がなかった。
学生運動の激しいときも低いフェンスがあったのみだ。東大にあるような加賀潘の赤門はない。大隈講堂の時計台は125メートルである。
人生125年が大隈の持論である。最近生物学者は125年まで細胞か持つと言っている。
母校の話は尽きないからやめる。
(文責:岩澤信千代)
