🗓 2026年01月19日
サイド・ボードの戸棚を開けたら年賀状が崩れ落ちた。そういえば年賀状は捨てずにしまっておいたので、10年以上たまっていた。子供たちも親父の年賀状があっても興味がないだろう。そこで焼却してしまおうと、一応点検を始めた。
その中に札幌支店・仙台支店と一緒に仕事をしたN君のものが出てきた。当時勤務していた証券会社(現みずほ証券)は100店舗以上支店があり二度も一緒に仕事をする確率は低い。発見した年賀状の中に「会社を辞めて帯広で焼き鳥屋を始める」とあり、店名が書いてある。それから数年以上、賀状を含め電話でも連絡を取っていなかった。
ネットで店名から電話番号を割り出し、電話をしてみた。応答がなく留守電に名前を入れた。そしたら折り返しの電話があり、しばらく話した。はじめの第一声「え、岩沢さん生きてたんですか?我々の間では死んでますよ。」よく聞くと旧勤務先の連中が年に一度札幌でゴルフをやっているらしい。その中での話で私は死亡したことになっていた。はじめ幽霊にあったような驚きをもっての受け答えで笑いが止まらなかった。
N君と話していた時にHさんが福島市に住んでいることを聞いた。Hさんに電話した。やはり、札幌と仙台で一緒に仕事をしたという。同じく「岩沢が死んだと聞いた」と言う。でも昔の仲間に酒の肴にされるということはまんざらではない。この世に存在したことの証明である。T君とは吉祥寺・神谷町で一緒だった。2度支店が一緒だったのは3人ということになる。もう一人いた横浜・本店営業部でのM君である。
人の噂は恐ろしいもので、知らぬ間に死人にされていた。生きてる証拠を見せようと慌ててこの稿を書いた。
もう一つ事実が判明した。N君の母方の先祖が仙台藩の家老但木土佐だという。奥羽列藩同盟の責任を取らされ切腹させられた名家老の子孫だと初めて知った。
(文責:岩澤信千代)
