🗓 2019年09月04日
「ナポレオンの召使にナポレオンの偉大さはわからない」という格言について
偉大なる英雄といえども、人間である限りくしゃみをし、よだれも垂らすし、屁もこく。
確かに近くにいてその姿を日常見ている召使はそんな主人を英雄とも思わないし尊敬の対象にもならないかもしれない。
私は、最近考える。静かなる英雄はいるものだ。10年来お客様として付き合ってくれたY氏である。私の父親は66歳で糖尿病のため亡くなった。Y氏は父親と年齢も近く、公私にわたり20年以上大変にお世話になった。父亡き後は父と思い慕ってきた。2.3年前突然亡くなられたが、奥様の配慮により火葬場で親戚の中に入り、一緒にお骨を拾わせて頂いた。東日本大震災の時、東京のY氏と電話で話していた。会津で揺れ、しばらくして東京でも揺れが来て、いったん電話を切った。私は外に出て、長い揺れの収束を待った。
また、震災後拙書「不一・・・新島八重を遺したもの」を上梓し、講演なども依頼されることもあった。大手商社の幹部でもあったY氏は講演の前に私にこう諭した。「まず、水を飲み、一回会場を見渡ししてからゆっくりとしゃべれ」と。確かに話す前に一連の行動をとると気持ちを落ち着かせることができた。しかし、アドバイスの甲斐なく余裕がなく会場の笑いをとることは不得手で主催者から面白くなかったという苦情も聞いたのも事実である。
国技館の相撲観戦に妻と一緒に招待された。両国駅で待ち合わせて国技館に行ったが、見たのは最終の取り組み3番だけだった。私達夫妻とY氏はその後銀座のバーでカラオケを歌った。Y氏の奥さんは「だから私は主人と相撲を見に行かないのよ。」とケロッとして言う。
そのような人に巡り合うのは人生で一人かと思っていたが、最近その方と共に同じ空気を吸っていると気持ちも落ち着くという方2名に会った。お二方も本業の方面では、著名な方でプロの専門家であり経営者である。「俺は偉いんだ」というそぶりを微塵とも出さない。どのようにしたらこのような人格形成ができるのだ?
たまに時間があると庭の草むしりをする。後ろから声がかかる。「その服、いくらしたと思ってんの。着替えてから作業してって言ってるでしょ。胸のブランドのマークが見えないの?私が買ってあげたのに。」私は、決して英雄ではないが、そばにいる妻は私を英雄でなく最低の人間としてみなしていることは間違いない。背広を新調するとすぐにたばこの火でズボンに穴をあける亭主を尊敬するはずは無いか。
(文責:岩澤信千代)