🗓 2019年09月11日

らん月

 

大学受験を控えた高校3年の時に試験を受ける前に敵情視察をしておいたほうが良いだろうと同じ大学を受験する慶徳君と東京へ行った。その時、父の弟の昭光叔父が本郷の東京大学へ案内してくれた。

帰りに銀座の「らん月」で叔父にすき焼きをご馳走になった。生まれて初めてのすき焼きである。私が子供の頃、先祖が屋敷神様に誓いを立てていて、鶏肉以外は食べさせて貰えなかった。途中、家以外で調理したのなら大丈夫という解釈で、店で買ってきたとんかつなどを食べていた。従ってそれまで牛肉などを口にしたことはなかったので衝撃的な経験であった。その後、社会人になり、思い出して「らん月」に妻と二人で食べに行った。我が家で、すき焼きを食べるようになったのは昭和61年に私の父母が屋敷神である熊野神社の本社に行きお祓いをしてからである。木製の屋敷神が痛んできたので、2,3年前に新調したのであるが、古いやしろの中に八重さんと交流があった6代目岩澤庄伍の誓文が板に書いてあり、そこに確かに肉は食いませんと書いてあった。

さて、敵情視察に行ったまではよかったのであるが、慶徳君は見事に合格し、私は落第し、滑り止めの早稲田大学法学部に入学した。
入学して時が経ち、慶徳君と話していたら、「岩澤、日本には大学は一つしかない。受け直せ。」という。素直な私は大学に「休学届」を出して、浪人生になった。今思えば、休学届を出さなければ4年で卒業できた。
次の年も試験に落ちて早稲田に復学したのであるが、これは大正解。1年休学したおかげでかけがえのないクラスメイト(1クラス50名:第一外国語ドイツ語)に出会った。
その中の4人とは毎年12月の第1日曜「ラグビー早明戦」で会い、大いに酒を飲む。チケットが取れた時は10人くらいになるときがあるが、チケットの手配と飲む場所は弁護士の品川君が手配してくれる。

慶徳君は、私の結婚式で友人代表の挨拶をしてくれた。慶徳君の結婚式では、私が友人代表を務めた。慶徳君の職業柄、招待客は検察官・裁判官が多かったが、極めて人間的なヤジがいっぱいで私の話はしばしば中断した。彼は中学時代柔道が強かったことなどを話したと思う。彼の仲人は元東京地検特捜部長 河上和雄氏であった。検事をやめられて長い間テレビに出ていたのでご存知の方も多いと思う。「慶徳君のご先祖は平家であり、源氏に敗れた後この会津に土着し長い間農業を営んでいた。新婦の○○さんは歴史ある商家に生まれ・・・・・・。」が仲人の挨拶であった。後にも先にもこの時以来「平氏、源氏」が出てきた結婚式に出席したことはない。

慶徳君は、60歳を機に最高検察庁を退職され、母の看病をするために会津に帰ってきて親孝行をされている。慶徳君が帰ってきた時、高校の同窓生中心に
若松市内で帰朝祝い?をやった。それからは毎年1月に6.7人が集まり気のおけない連中と酒席を共にしている。

今回、慶徳君は「新島八重顕彰会」の顧問を快く引き受けてくれた。

PS:原稿をアップする前に慶徳君に一応FAXしたところ、電話があった。
次の2点を指摘された。

  1. 東京ですき焼きを食べたのは、駿台予備校の模擬試験を受けに行った時で高校2年生の時であり「試験の成績は岩澤の方が良かったんだよ。」と言われた。
  2. 慶徳家は会津を400年支配した蘆名あしな家の4家老の一人平田家の血を受継ぐそうである。最初のご先祖様は平田家の長男として生まれたが、遅く生まれたために家督は既に養子が継いでいた。その為先祖は養子に行き慶徳城主となり、慶徳姓を継いだ。そして、塩川町の現在地に住むようになったとのことである。

(文責:岩澤信千代)