🗓 2019年11月02日

甲子園

 
 ついこないだまで、テレビで高校野球を見ていると、一緒に戦っているような気分であった。いつでも高校生である気分であった。

しかし、ある年齢55歳くらいからであろうか。「おい、ちょっと待てよ。息子も高校生の年齢を超えた。あれ?」と考えるようになった。ついこないだまでは、
精神年齢も体力も同じで、テレビの中に入っていって、ボールも投げて、打つこともできると、甲子園で野球がまだできると思っていた。

しかしテレビで活躍している高校生と俺は顔のしわもインタヴューの受け答えの内容も俺には縁遠いものになったと自覚した。

詩人ウルマンは、

青春とは人生のある期間ではなく、
心の持ち方を言う。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失う時初めて老いる。

とはいうものの、「年を重ねただけ」は、やはりきつい。
50歳の時に人間ドッグに入って以来、大した病気をしたことがない私は、ほとんど健康に気を使ってこなかった。
 しかし、今年になり来年の65歳を控え、一応健康診断をするかと思い、「協会けんぽ」の案内がきたのをきっかけに、とある病院に健康診断に行った。「協会けんぽ」が補助するので少し割安で受診できるとのことだった。ところが行ってびっくり、血圧が高くて(200超)胃カメラを呑めないという。セカンドオピニオンを聞こうと診断書をもらって再検査をしに別な病院に行った。心臓肥大と血糖値が高いので再検査要とのことであった。心臓は子供のころより大きかったので、異常のないことは分かっていたが、24時間心電図をとった方が良いとのことで診察してもらった。案の定こちらは異常なしであったが、高血圧と高血糖は如何ともしがたい。
 ウオーキングをするなど運動して、ともに数値は改善したがそれでも高いので努力中であった。わが家の前の穣君は同級生であり、時間があえば近所の飲んべえ4名程度が我が事務所に酒とありあわせのつまみをもち寄り、居酒屋「信ちゃん」に化した事務所で一杯やるのが常であった。その時は話が盛り上がり、穣君と二人で350mlの缶ビールを6本ずつ空けた。途中ろれつが回らなくなったのであるが、飲みすぎたのかなという程度の認識であった。そして、翌々日、I君が会津に来たので二日連続飲みにいった。二日目にカラオケでろれつが回らなくなったが、「新潟ブルース」を歌い切った。翌日顧客が私の話が聞き取れないという。そこで初めに行った病院を受診したところ、MRIの画像を見せられ脳梗塞の跡があることを伝えられた。入院をすすめられたが。予定があり、自宅に帰ってきた。その後高血圧改善のためウオーキングをした。10000歩以上二日歩いた。その1日は前に書いた立ち飲み屋「銀座9丁目」に立ち寄り満足したりしていた。本当においしい酒と豊洲直送の新鮮な魚を堪能したのである。
 10月5日朝に車のガソリンを入れに行ったのだが、足元がふらつく。帰ってきて血圧計で血圧を測ったところ、200を上回っていた。1時間前に測った時は135であった。ちょっと異常なので即女房に救急に連れて行ってもらった。案の定小さい脳梗塞があった。それで即入院となり20日間入院して最近退院した。
 病院食に辟易へきえきしていたが、退院しても栄養士・調理師の免許を持っている女房の監視下にあり、いつも腹を減らしている状態にある。もちろんタバコ・酒も厳禁である。女房はだらしがなく自己抑制がきかない私を管理する使命感に燃えている。ご飯の量は病院と全く同じである。お替りも受け付けない。

この稿は、高校生の気持ちでいたのが、いつのまにか甲子園児と肉体的・精神的にも乖離かいりしてしまったという結論になるはずが、「自己抑制が効かない弱い飲んべえ」の反省文になってしまった。今12時50分、昼飯を食べたばかりだが、腹減ったー。

(文責:岩澤信千代)