🗓 2020年03月02日
我々会津に生まれたものにとって、素晴らしい方言がある。八重さんの手紙を読むとわかるのだが、文面の所々に「会津弁」そのものや発音が標準語でない文章が現れる。
私が高校生の時に学校から帰って防寒具を脱いだ時のことである。それは上下のカッパであり下のズボンを脱いだ時に本来なら手を使って脱ぐのだが、面倒くさがり屋の私は、足を交互に使って脱ごうとした。その時バランスを崩しよろけた。運悪くガラス戸にぶち当たり、粉々に割れた。それは普通のガラス戸ではなかった。そのガラスには家紋が入っており、その数日前に父親が購入し納品されたもので大変父親は気に入っていたものであった。特注品なので父親は大枚をはたいたものであったろう。相当なお叱りを父親から受けるだろうと私は身構えていたのだが、父親は私に言った。「さすけね。怪我はなかったか。」やるべき手順を省略し惰弱な行為をしたのが悪いのだが。運悪くその時は片方の戸が開いており2枚重なっていたので2枚とも割れた。その後台所にも2枚の家紋入りガラス戸があったがこちらは2枚とも妹が割った。父は「さすけね」を自分に言い聞かせたのではなかったか。
それで、子供を叱るのを我慢したのではと今でも思う。
約10年前の2011年3月11日東日本大震災が起こった。今でも農産物・魚などに風評被害が残る。我々会津人はこの「さすけね」精神で立ち向かってきた。戊辰戦争に敗北しながらも薩長藩閥政治の逆境に耐え、生き抜いてきた会津の先人たちに良い見本がある。
とはいえ、今回のコロナウイルスに関しては正体が見えないだけに「コロナは本当にサスケなくなった。通常通りに生活できるようになった」と言えるようになってほしい。
金メダルを取るために一心不乱に努力してきたスポーツ選手たちの活躍の場を失ってはならない。
今後も我々会津人はこの「さすけね」精神をもって困難に立ち向かっていくものと私は確信する。
方言の理解できない人の為に「志村けんの大丈夫だあ」の「大丈夫」がすなわち「さすけね」とほぼ同意語であることを付言しておく。ただ会津の「さすけね」は困難に直面する時ほどその威力を発揮する。
(文責:岩澤信千代)