🗓 2020年03月05日
最近の新聞報道で材木町の会津3庭園の一つである「攬勝亭」が譲渡され更地にされ宅地になることがわかった。
安土桃山から江戸時代初期に活躍した大名・茶人・作庭家小堀遠州の流れを汲む目黒浄定が手を加えたもので会津藩の歴代藩主にも愛されてきた名園なのでその姿を消すことは会津にとっても文化財喪失ともいえ非常に残念なことである。与謝野晶子も訪れた記録と石碑が遺る。
文化財保護の活動について行政をはじめ、それなりの努力をしていたら違った展開にはなっただろうとも思えるが、あくまでも個人の経済活動の問題であるのでもはやいかんともしがたい。
有名な作庭家目黒浄定の庭は「御薬園」のほかにもある。御薬園を作る前に練習で作ったと言われるのが本稿で取り上げる大龍寺「月心庭」である。
実は、この寺で生まれ育った増子大道住職も庭園の名前を知らなかった。ここで紹介する「会津若松 庭園相撲」(昭和8年:材木町住吉明神鎮座550年記念)の番付表を見て「月心庭」であることを知ったという。
東方横綱は「栄町 米熊 三宅庭」であり西方横綱は「栄町 和泉 御桜庭」である。勧進元は「徒ノ町 楽壽亭 御薬園」と「鶴ヶ城 御庭園跡 銀星苑」である。「攬勝亭」「可月亭」「裁判所白露庭」は行司の欄である。「慶山 大龍寺月心庭」は住吉神社の庭園などと並んで年寄の欄にある。
番付に出てくる庭園のほとんどが個人の私有地であるので、現在の姿が今どうなっているか変遷もわからない。
「攬勝亭」が更地になることを残念がる人が多いが、行政を含め市民の不作為の結果であり止むを得ないものとあきらめるしかない。
八重の生家の菩提寺である大龍寺の庭園の紅葉は本当に素晴らしいので、是非皆様にもご覧になって頂きたいものである。
(文責:岩澤信千代)