🗓 2020年07月29日

沼尻高原ロッジ
当会会計幹事の岩沢孝さんは猪苗代町の生まれである。福島民報新聞でも紹介されたが野沢鶏一(本名:斎藤九八郎)の本家が猪苗代町で新聞販売店を経営していることを一族の斎藤平八郎さんから聞いていた。そんな関係で猪苗代町に不案内な私は斎藤新聞店に連れて行ってくれと孝さんに頼んでおいた。頼んでいた本人はすっかり忘れていたのだが、孝さんは覚えていてくれて「時間があるから、案内しよう」ということになり、言葉に甘えて孝さん運転で猪苗代町に向かった。
 ところが残念ながら行き帰り2度訪問したのだが留守で斎藤さんは会えなかった。
沼尻高原ロッジ
丁度昼時だったので飯を食おうということになり、以前から看板を見て気になっていた蕎麦屋「おおほり」に連れて行ってもらった。そこから中ノ沢温泉は近い。そばを食いながら、芦ノ牧の大川荘が買収し、リニューアルした沼尻温泉のロッジの話が出た。日本人女性初でエベレスト登頂を果たした田部井淳子(福島県出身の大登山家)さんが所有していたものだった。二人で日帰り入浴をして帰った。
 帰り際、何気なく孝さんは言う。「ここは硫黄の産地で軽便鉄道が走っていた。(高原列車は行く)の歌の題材になった場所だ。」わが耳を疑った。六本木のクラブで何度も聞かされた親友栗山君が腰を振り振り歌う持ち歌がこの風景からできたのか。福島県出身の丘灯至夫作詞、「エール」の古関裕而作曲であり岡本敦郎が歌った。
 中ノ沢温泉は温質が気に入り、意見があえば女房とよく日帰り温泉に行っていた。「花見屋」「平澤屋」「西村屋」など気が向いたところに入っていたが、「高原列車は行く」につながる場所だったとは。栗山君といえば「高原列車」と言われるくらい、この歌を歌うと六本木のクラブのホステスが非常に喜んだ。何度も聞かされた歌である。数年前我が家に来たのだがその時知っていれば沼尻を案内したのにと悔やまれる。
 猪苗代町川桁駅から沼尻駅まで11駅15.6kmの短い鉄道で昭和43年頃まで動いていたという。沼尻鉱山でとれる良質の硫黄を運ぶのが主体で「窓からハンカチを振れば乙女とコンタクトが取れる」というロマンチックなものでなく、極めて実用的な路線であった。
 ただ歌詞は景勝地五色沼(五色のみずうみ)や横向温泉(温泉の宿か)などをちりばめてあってロマンチックである。
 そのような情景をロマンチックに昇華させる作詞家の天賦の才能は大変すごいことだと感心させられる。当然、我らの古関裕而の曲であるから元気が出る。
 沼尻鉄道を調べていて目標ができた。中ノ沢温泉街にある宝来堂製菓が7月15日から「沼尻軽便鉄道まんじゅう」を販売開始したという。栗山君の顔を思い浮かべながら高原列車饅頭を食うという目標である。栗山君は本当にホステスにはよくもてた。というより「高原列車」ではほんわりした雰囲気を提供してくれたからホステスには喜ばれたのだろう。

汽車の窓から ハンケチ振れば 牧場の乙女が 花束なげる 明るい青空 白樺林 山越え谷越え はるばると ララララ ララララララララ 高原列車は ラララララ 行くよ みどりの谷間に 山百合ゆれて 歌声ひびくよ 観光バスよ 君らの泊りも 温泉の宿か 山越え谷越え はるばると ララララ ララララララララ 高原列車は ラララララ 行くよ 峠を越えれば 夢みるような 五色のみずうみ とび交う小鳥 汽笛も二人の 幸せうたう 山越え谷越え はるばると ララララ ララララララララ 高原列車は ラララララ 行くよ
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沼尻高原ロッジ(PDF:690KB)

(文責:岩澤信千代)