🗓 2021年06月17日
資料を公開します。一つは会津若松を出発した「会津降人人名」であり、謹慎所に指定された猪苗代を東京に向け護送された氏名である。
飯沼時衛・貞吉ははっきり明記されている。楢崎頼三はこれより早く会津藩士以外の他藩の捕虜を連れて東京に向かっている。その模様は楢崎頼三が詳細な日記をつけているので一目瞭然である。


もう一つの資料は飯沼貞吉の弟関弥の回想録「藻汐草」である。その中に「謹慎赦免後、直に静岡の林三郎といふ人の塾に入りて・・・・」とある。
猪苗代→東京護国寺→静岡の林三郎塾と連綿と続いており、楢崎頼三とともに長州へ行っている時間を見つけ出すのはほぼ不可能である。
高見フサという口伝のみで史実を構成するのがいかに困難であることは素人目にも見ても大いなる無理があろうと断じざるを得ない。
