🗓 2023年07月18日
文芸春秋7月特別号を読んでいたら、次の記事があった。
1954年4月18日号の「週刊新潮」に「山本元帥の愛人、軍神も人間だった!」と報じられたという。
山本五十六は長岡藩の名家山本家老の名跡を復活させるために元藩主牧野の殿様の計らいで高野五十六から山本五十六になった。
妻は12歳年下の会津藩士の後裔三橋礼子であった。しかし礼子は4人の子供を設けるも男勝りで結婚早々仲は冷え切ってしまったという。
当時49歳であった山本五十六は20歳も離れた新橋の芸者千代子にほれ込み数多くのラブレターを残した。10年間で30センチになった。それらの手紙は国葬の前日海軍省に没収されたようであるが「全部償却するように」との条件で返却された。しかし千代子は心に残る19通は燃やさなかったので内容が一部明らかになった。
真珠湾攻撃の英雄は飛行機に乗っているところを迎撃され、海の藻屑と消えたが短い生涯の中でロマンスがあったと聞くと何故かほっとするのは私だけだろうか。
心残りは山本五十六の妻は会津藩士の後裔だと自慢話のうちの一つだったがこれからは愛人もいたと付け加えなければならなくなったことである。
(文責:岩澤信千代)