🗓 2023年07月22日

昨日、近くまで行ったので熊倉の中根米七の墓詣りに行ってきた。そこで地元の方の話を聞くことができた。「勝手に熊倉に来て切腹した。どちらかというと有難迷惑な話であった。熊倉に縁もゆかりのない人だから。有志が墓地を建立したのだが、地元民にとっては何も得るところもなかった。墓地の木3本も倒壊したら危険なので切ることが決議で決まっている。十万単位の金では済まない。」

前に訪れた時は桜満開の下に中根米七の墓があり、「武士には桜が良く似合う。」と感動していたのだが。

村人に聞くと桜の木をはじめ老齢化しており、倒壊したら木の下の墓石はめちゃくちゃになる恐れがあるのでやむを得ないのだという。

さもありなん。現代を維持する人々にとっては死活問題に等しい。思案橋事件は国家転覆の所業である。いわゆる罪人が英雄にはなりえない。

永岡久茂・中根米七が成そうとした行為が、一般国民の共鳴を得ることはできなかった。プリゴジンの反乱のようにあっけない幕切れであった。永岡久茂と呼応して兵をあげた山川健次郎を助けた奥平謙輔も前原一誠と共に露と消えた。

思案橋事件は西郷隆盛の西南の役・萩の乱と共に不平武士の反乱ととらえられているのみだ。そこに中根米七が英雄となる素地はなかった。自害することにより会津藩の名誉を守ったとは誰が知ろう。

(文責:岩澤信千代)