🗓 2024年01月19日

岸田派も会計責任者が起訴される。安倍派は会長マターにして幹部7人が逃げ切った。岸田派は会長マターにする代わりに派閥解散にして逃げ切ろうとしている。林芳正は名門宏池会の会長になり損ねた。

 でも考えてみよう。派閥は解散すれども会員名簿は遺る。携帯番号など連絡先もわかる。表向き派閥の看板を下ろしても、深く潜航して群れを成すであろう。民主主義の原理は多数決である。それには仲間・同志が必要だ。一匹狼では何もなしえない。議員一人で議員立法ができるのか。アメリカでは優秀なスタッフがいるのでマッカーシー法案など議員の名が冠せられた法案はいくらでもある。残念ながら日本の国会議員はスタッフを抱え込むこともできないし、大体議員個人に法律知識もない。岸田派解散は他派閥にも影響を与えるだろうか。麻生・茂木派など賛成しないだろうから、無理と思うから岸田首相は他派閥には言及していない。派閥解消を求めることもしない。派閥力学がうろたえれば自分の自民党総裁再選も可能と考えているのではないか。

とすれば、「肉を切らして骨を残す」大作戦であり諸葛孔明・山本勘助級の大軍師だ。

いずれにしても、キックバック裏金問題は今日、大勢が判明する。

もう一つ注目する動きがあった。共産党委員長に田村智子氏が就任した。早稲田大一文が部卒である。党員は現在27万人(2分の1)、赤旗購読者100万人(3分の1)と党勢の衰退は花正しい。ピーク時との比較である。女性党首が誕生したからと言って党勢拡大は全く期待できない。歴史的役割を終えた遺物になった。イースター島のモアイ像と同じだ。違うのはモアイ像を作ったのは誰かわからないが、日本共産党にははっきりした歴史がある。有名な転向者田中清玄(会津藩家老の子孫)もいた。有名な女優がロシアに亡命もした。得てして共産党にはよく勉強ができた人材が集まっていた。東大新人会出身の英才がいた。しかし、当時と違い国際情勢が大きく変わった。ロシアのコミンテルンの指示命令下にあったこともある。ヨーロッパの共産党は党名を変えたりしてそれなりの存在を保っているところもあるようだ。 日本では共産党アレルギーが強く野党統一もできないから、自民党政権を倒すこともできない。民主党に政権を任せた時に菅直人は現場の迷惑を考えず、福島原発の視察に訪れた。吉田所長の悲鳴の原因の一つを作った。東北電力は海水注入を渋った。機器が使えなくなるからである。あの時、首相官邸が海水注入を命じたら水素爆発を抑えられたかもしれない。

会津村の支配人をしていたので会津若松に非難した大熊町の人々に豚汁等を提供したが、長く避難所暮らしをした。大熊中学校には綾瀬はるかも応援に訪れた。その一週間前に新島八重の講演をしたことなどが思い出される。当時の大熊町の教育委員会の方たちとも交流したが、故郷には戻れず郡山に居を決めた人もいる。

(文責:岩澤信千代)