🗓 2024年05月03日
連休明けに茂木幹事長更迭はあるか。今なら補選3敗の責任をとらせるという名目がある。ただ、誰も後任を受けなければその時点で岸田首相はジ・エンドとなる。内閣改造もできない。また、茂木は総裁選立候補の動きを強める可能性もある。今でも安倍派の議員に積極的に接触しているようだ。仲間に入れても安倍派の議員は落選して自民党総裁選の投票権を持つかどうかもわからない。茂木と石破は人望がなく国会議員の票をまとめることはできないだろう。
この連休明けに更迭を出来なければ、6月の国会会期以内で解散ができるか。岸田首相は進むも引くも崖っぷちだ。森山幹事長の噂も出ているが、いかんせん高齢で押しが強そうな感じもしない。世論調査で国民の人気がある石破、小泉進次郎もうわさには上るが現実味がない。小泉にいたっては父親の純一郎から今は動くなと釘を刺されているようだ。石破は議員20名の推薦人を集められると思えない。
さて岸田首相は来週、博打をうつかどうか。それとも9月の総裁選まで低空飛行し、燃料切れで墜落か。
今日は山形県赤湯の結城豊太郎記念館を見学してきた。無料である。郷土の偉人を尊敬し広く開放するとは南陽市の心意気が伝わってきた。西郷隆盛筆といわれる「敬天愛人」が掲げられていた。めずらしいのは雲井龍雄と清河八郎の書が並んで展示されていたことだ。二人とも革命家のような働きをしたが何もなしえなかった。上杉鷹山・山田方谷もあった。無料にしては大変見ごたえのある記念館であった。
結城豊太郎は日銀総裁・大蔵大臣を務めた偉人であるが日本興業銀行のトップや安田銀行の経営の携わり、日本の経済に深く関わった人物である。時間がある人は調べてみてください。結城豊太郎は庄内藩士が編集した西郷隆盛の「南洲翁遺訓」を信奉し若い青年の教育指導にもあたった。
南洲翁遺訓が薩摩ではなく何故、庄内藩士がまとめたか興味は尽きないものがある。私はうがった見方をするのだが、庄内藩が江戸の薩摩藩藩邸を焼き討ちし、官軍の江戸城の攻略の口実を作った。
日本の真珠湾攻撃があったために不戦に傾いていた米国の世論を戦争に傾かせたルーズベルトの心境と西郷隆盛は同じだったのではないか。会津は京都守護職、庄内藩は江戸の治安を守る役割だった。薩摩藩邸焼き討ちを聞いて西郷隆盛はにんまりとしたという。その前に放火・強盗を手下にやらせ皆薩摩藩邸に逃げ込ませた。江戸城攻撃の口実を作ってくれた庄内藩を西郷隆盛は憎むのではなく恩人のように考えたのではなかったか。賊軍だった庄内藩は明治新政府に寛典を受けたのはその理由があったのではないか。斗南3万石(実高7000石)に追いやられた会津藩とは雲泥の差があったと言えるのではないか。
(文責:岩澤信千代)