🗓 2024年07月12日

鎮守の森の大イチョウに木に集合していたムクドリの大群の鳴き声がやんだ。そう、どこかへねぐらを変えたようだ。何故か。隣家のN君が天敵の鷹の鳴き声をスピーカーで三日間流したらしい。効果てきめんである。何日間この状態が続くのだろうか。とにかく夜間のうるさい鳴き声は止んだ。市役所の職員が運動会のスターターで脅かしていたがその必要もなくなった。

 さて効果の持続性はもう少し経たないと不明である。とりあえず騒音被害は収まった。

 話は変わるが、吉海先生の日向ユキのコラムはそれなりの波及効果があった。日向ユキのいとこの話も出てきたり、雑賀アサを囲む親戚も明るみに出てきた。武士の世界は家系図を尊重する。ここが農民と違うところだ。自分の血筋を大事にする。それはそうだ。江戸時代は殿様の改易などの理由で職を失う、すなわち浪人になることも多かった。仕官先を失った武士は再就職先を探さねばならない。今でいう履歴書が家系図なのだ。しかしながら由緒ある家柄の家系図が関東大震災・太平洋戦争を経験する中で多く失われた。それでも各家庭で大事にしてきた家もある。また歴史的人物がいる家では歴史書などで先祖の動向がわかることもある。戊辰戦争から150年経った家でも血統をたどることもできる。調べていくと面白いのだが、函館や山鼻などには旧会津藩士出身者が肩寄せ合って生きた時代などが浮かび上がってくるのだ。4代も違うと冠婚葬祭などもなくなるが先祖の話を繋ぎ合わせるとある時代が浮かび上がってくる。

 我が家には若松教会の3代牧師兼子重光の姉が嫁いでいるのだが、現当主の父親は昭和7年生まれであるが、子供の頃は秋祭りの盆踊りの時には我が家に頻繁に来ていたという。私の父と同い年なので父親の曽祖父の親戚関係が続いていたということだ。私の4代前の姻戚である。今は冠婚葬祭はない。但し、兼子家の現当主は私と同じ年で顕彰祭の音響とかを手伝ってもらっている。3代前までは葬祭の関係は続いている。

(文責:岩澤信千代)