🗓 2024年11月28日

 京都府警によると、会津小鉄会は最盛期には約1600人の構成員がいたが、昨年末時点で約40人まで減少。友好関係にある山口組が支えようと小鉄会組長を継承したとニュースがあった。

 西雲院の庫裡の玄関入り口左側に会津小鉄の墓がある。会津小鉄と呼ばれた侠客は本名を上坂仙吉といい。幕末の会津藩に重用された。戊辰戦争で会津藩が敗北し、滅藩となってからも会津墓地の草むしりなどして、会津藩の恩義に応えた。その会津小鉄会の名がネットで現れたのでびっくりした。初めて山口組関係者がトップに立ったという。広域暴力団にも指定されていたのが現在40人の構成員とはこの世界のシノギはかなり厳しくなっていたんだなと改めて認識させられた。高倉健や菅原文太がヒーローだった頃の世界とは違っているのだなと思い知った。

 同志社が山本覚馬を敬遠したのはこの会津小鉄と覚馬とのしがらみがあったからともいわれている。大学として成長していくのに裏の世界とのつながりはまずい。校地買収に協力し、寄付集めにも貢献した大恩人の山本覚馬と距離を置かざるを得なくなったのだろう。どちらかというと同志社創学期には熊本洋学校出身者が活躍した。歴代の同志社総長を見ればわかる。

 山本兄妹と同志社の関わりについてはっきりしたことはわからないが、来年の顕彰祭には同志社大学本部から首脳が訪れ、兄妹の生家である山本家墓所に焼香して頂けることになっている。

(文責:岩澤信千代)