🗓 2025年12月29日

会報を読み返していたら、吉海先生の文章に巡り合った。

農家に育った私は幼少の時より親に連れられて田んぼに行った。そこでの楽しみは父親の発する「こびりにすんべ」だった。そこで食べる三色パンとコーヒー牛乳が好きだった。2.30人の大人たちが手を緩めておやつの時間になり世間話をするのが常だった。この聞きなれた「こびり」が吉海文の「小昼」に相当するものであることが分かったのである。

小昼が会津訛りで「こびり」になったようだ。

農家で繁忙期は稲刈りと田植えである。田植えが終わり「さなぶり」の日は手伝いに来てくれた人たちに食事をふるまう。田植えで泥だらけになっているので外にテーブルを出して食事を出す。そこではかならず「さけのよ」の甘辛煮がでる。それが私は大好きだったのだが、今でもそれが鮭かハマチかわからない。懐かしいので食べたいのだが、食べれない。田植え機やコンバインがない時代すべて人力だ。農繁期になると2.30人で作業をする。同級生の母親が手伝いに来ていた。母親が来ているから一緒に帰ろうと連れだって一緒に食事をしたこともあった。

66歳で亡くなった父親は機械化されていない時代に働いて働いて私を育ててくれた。感謝の念しかない。大酒を控えたら、もっと長生きできたのになあ。

(文責:岩澤信千代)