🗓 2021年11月06日
吉海 直人
前に「木枯らし一号」のコラムで、関連する「小春日和」にも少しだけ触れました。どうもそれだけでは不十分なので、あらためて取り上げてみることにします。というのも、平成26年に行った文化庁国語科の「国語に関する世論調査」で「小春日和」の意味を調査したところ、「春先の頃の、穏やかで暖かな天気」と答えた人が42パーセントもいたからです。これは明らかな誤用で、正解はもちろん「初冬の頃の、穏やかで暖かな天気」です。
まず「小春日和」が、気象用語よりもずっと前から用いられている言葉であることを確認しておきましょう。「小春日和」を分解すると、「小春日」「小春」になります。「小春」は『徒然草』155段に、「十月は小春の天気」と出ている古い言葉でした。旧暦10月はもう冬です。これこそ「木枯らし一号」の後にやってくる温かい日のことでしたね。というより「小春」は室町時代以降、10月の異名とされていました。尭孝の『覧富士記』9月27日条には「梢の秋は已に闌て小春の漸く近づきぬる」と使われているし、柴屋軒宗長の『東路のつと』にも、「当月(神無月)の異名小春」とあります。この記述は決定的な証拠になります。
次に「小春日」ですが、江戸時代の人情本『閑情末摘花』(天保12年)に「冬とはいえど小春日の」と出ており、10月の異名からは離れて、春のようなポカポカ陽気を表しています。これが「小春日和」になると、江戸時代の用例が見つかりません。かろうじて曲亭馬琴の『近世説美少年録』(天保3年)に、「小春のけふの日和」とあったくらいです。
明治に入って一番早いものとして、正岡子規が『高尾紀行』(明治25年)で、「目の下の小春日和や八王子」と詠んでいる句がありました。また『俳諧大要』(明治28年)にも、「空は小春日和の晴れて」と書いてあります。どうやら「小春日和」を最初に使ったのは正岡子規ということになりそうです。もちろん季語は春ではなく冬です。ただし歌や俳句の古い例は案外少ないようです。
その他にも、田山花袋の『丘の上の家』(明治29年)に、「東京の近郊によく見る小春日和」と出ています。島崎藤村の『破戒』(明治39年)にも「全く小春日和だ」とあり、『千曲川のスケッチ』(明治44年)にも「秋から冬に成る頃の小春日和」と用例が認められます。夏目漱石の『門』(明治43年)にも「からりと晴れて、垣に雀の鳴く小春日和」とありますし、森鴎外の『雁』(明治44年)にも「小春日和が続いて」と出ています。
特異なものとして、国木田独歩の『酒中日記』(明治35年)があげられます。これを見ると夏の5月12日に「小春日和の日曜に」とあって、明らかに季節が違っているからです。前述のように春先の頃と間違う人は少なくないのですが、いくらなんでも夏に使うというのは考えにくいですよね。
そもそも「小春日和」という気象現象は、西高東低の冬型の気圧配置の直後に、移動性高気圧によって生じる現象なので、日本だけでなく世界中でも生じています。アメリカではこれを「インディアン・サマー」と称しています。イギリスでは「聖マーティンの夏」、ドイツでは「老婦人の夏」、ロシアでは「婦人の夏」といわれているのがそれです。面白いことに、日本では春に喩えているのに、外国ではどこも夏に喩えていることです。これは緯度の違いによるのかもしれません。ひょっとすると独歩は、外国の「夏」が脳裏にあったのかもしれません。あるいは同じく旧暦10月の異名である「小六月」に引きずられたのでしょうか。
それはさておき、「小春日和」は近代文学では大人気だったようで、いろんな作品に引用されています。泉鏡花の『南地心中』(明治45年)・『若菜のうち』(昭和8年)・『縷紅新草』(昭和14年)、徳田秋声の『あらくれ』(大正4年)、小川未明の『自分で困った百姓』(大正9年)、若山牧水の『秋草と虫の音』(大正13年)、江戸川乱歩の『吸血鬼』(昭和6年)・『火縄銃』(昭和7年)、堀辰雄の『花を持てる女』(昭和7年)・『菜穂子』(昭和9年)にも用いられています。それだけでなく島木健作の『盲目』(昭和9年)・『黎明』(昭和10年)、中里介山の『大菩薩峠』(昭和16年)、永井荷風の『畦道』(昭和22年)・『草紅葉』(昭和21年)、川端康成の『眠れる美女』(昭和35年)などにも出てきます。
歌謡曲にも用例はあります。山口百恵が歌った「秋桜」(作詞作曲さだまさし)の歌詞にもありましたね。中島みゆきの曲にもずばり「小春日和」がありました。北島三郎や島津亜矢も同名異曲の「小春日和」を歌っています。厳密には冬の季語なので、「秋晴れ」に使うのも誤用かもしれませんが、文学的な言葉としてよく使われているうちに、多少意味が広がっていったのかもしれません。みなさんも用例を探してみませんか。