🗓 2021年10月30日
吉海 直人
前に「春一番」を取り上げたので、その対となる「木枯らし一号」についても書いておきます。対といいましたが、「春一番」が春の到来を告げるのに対して、「木枯らし一号」は冬の到来を告げる強風です。
気象庁のとらえ方は、「春一番」とよく似ています。期間が10月半ばから11月末までに限定されているのも同様です。ただしこれは東京の場合で、大阪だと少し遅れて10月23日頃から12月22日頃までです。「頃」とあるのは旧暦の霜降から冬至までだからです。当然ですが、それより早い10月初旬や遅い12月以降に吹いたものは対象になりません。それは季節感がずれるからです。
風の向きはほぼ北寄りで、最大風速が秒速8m以上と規定されています。この風の正体は冬の季節風でした。ここで東京と大阪の例を出しましたが、それは気象庁が関東と近畿だけしか発表していないからです。なんと「木枯らし一号」は、地域限定の気象現象だったのです。申し訳ありませんが、福島には無縁でした。
「春一番」と違うのは、気圧配置が見事に西高東低の冬型になっていることでしょうか。もちろん「春一番」同様、「木枯らし二号」や「木枯らし三号」もあるし、逆に吹かない年もあります。東京など暖冬のせいで、平成30年・令和元年と2年続けて発表されませんでした。惜しかったのは令和元年11月20日で、冬型の気圧配置などほぼ条件は揃っていたのですが、最大風速が7.2mとちょっとだけ弱かったので認定されませんでした。昨年は11月4日に3年ぶりに東京で「木枯らし一号」が観測されました。今年は関西では10月23日に観測されました(なんと昨年も同じ日でした)。
気象庁が観測を始めたのもかなり遅く、遡っても昭和21年の記録しかありません。そもそも「木枯らし一号」の初出は、昭和31年10月20日とされています。それまでは「木枯らし一番」「木枯らしNO.1」「初木枯らし」などと用語はまちまちでした。それが統一されたのは昭和35年以降とのことです。
最初に「木枯らし一号」と「春一番」を対にしましたが、もう1つ「木枯らし」と対になるものがあります。おわかりですか。それは「小春日和」です。誤解されることが多いのですが、「小春日和」は春が近づいた頃の天気には使いません。「木枯らし」が吹いて俄かに寒くなった後、また寒さが和らいでぽかぽか天気になることがあります。それが「小春日和」です。要するに「木枯らし」と「小春日和」は交互に訪れるものなのです。だからセットで覚えてください。なお令和2年には鹿児島で25度を超えたので、小春を超えて「小夏日和」という言葉も浮上しました。
ところで「木枯らし」は案外古い言葉です。もっとも『万葉集』には見られないので、平安時代語ということになります。今のところ初出は『古今六帖』の、
とされています。それ以外に『うつほ物語』に2例、『枕草子』に1例、『源氏物語』に5例、『狭衣物語』に4例、『栄花物語』に2例などと使われています。この中では『源氏物語』帚木巻の「雨夜の品定め」で、左馬頭が体験談として語った浮気な「木枯らしの女」の話は有名ですね。
もともと「木枯らし」は木を枯らす(葉を落とす)風のことであり、「木嵐」が転じたものだといわれています。また国字の「凩」にしても、木を枯らす風の意味で造られました。特に俳句では「凩」を用いることが多いようです。冬の寒さ・厳しさ・緊張感が感じられるのか、芭蕉も蕪村も一茶も「凩」の句をたくさん作っています。
その中で、芭蕉と同時代の池西言水の「凩の果てはありけり海の音」はよく知られています。「凩」は最後に海鳴りに変じるというものです。この句によって言水は「凩の言水」と呼ばれたそうです。この句を踏まえて山口誓子は「海に出て木枯らし帰るところなし」と詠じました。その背景には、第二次世界大戦末期における特攻隊員の姿が「木枯らし」に重ねられていたそうです。そう思うと随分痛ましい句ですね。
最後に楽しい「木枯らし」を紹介します。江戸時代において、「木枯らし」がすりこぎ(れんぎ)を意味する女房詞として用いられたということです。季節には関係なく、単に木製のすりこぎには葉がついていないことによるのだそうです。なんとも愉快なネーミングですね。