🗓 2023年07月08日
吉海 直人
七十二候の一つに「蓮始開」があります。これは「蓮」の花が開花する時期ということで、令和5年は7月12日から16日までの5日間です。この時期、お寺や公園の池などで見事な花を咲かせていますね。ところでみなさんは、「蓮」と「睡蓮」の区別がつきますか。
「睡蓮」というと、モネの油絵が有名ですね。「蓮」というと、仏様の蓮華座が思い浮かびます。そもそも植物学的にはハス科とスイレン科で違っていました。両者の違いは見ればわかります。スイレン科は葉も花も水面に接触していますが、ハス科は水面の上に葉も花も出ているからです。これで間違うことはありません。また葉を見ると、「蓮」に切れ込みはありませんが、「睡蓮」には切れ込みがあります。
ただしどちらも「蓮」という共通の漢字が付いています。また共に池などに植えられているので、似たような植物だと思い込んでいるのかもしれません。ややこしいことに「蓮」とあっても、「オニバス(鬼蓮)」や「オオオニバス(大鬼蓮)」はスイレン科に属するものであり、ハス科ではありませんでした。
この「蓮」には仏教色が付きまとっています。当然、原産地はインドでした。それがはるばる日本にまで伝来しているのです。ですから一般には仏教伝来とともに日本に渡来したとされていましたが、千葉県の落合遺跡から発掘された「蓮」の実は、二千年以上前の弥生時代以前のものであると鑑定されています。仏教よりずっと以前に伝来していたのです。
その「蓮」が文学に登場するのは『万葉集』からでした。『万葉集』には「蓮」の歌が4首掲載されています。そのうちの3首は「蓮葉」とあります。白い花も実も食用になる蓮根も歌には詠まれていません。しかもその大半は戯歌であり、まだ仏教色は感じられません。唯一、蓮の葉に溜まる水玉に興味を惹かれるくらいです。これは「蓮」の葉の表面が水を弾く構造になっているからで、それをロータス効果と称しています。
なお古典では「はす」とはいわず、「はちす」として歌に詠まれています。それは花托が蜂の巣に似ていることによるとまことしやかに説明されていますが、『万葉集』では蜂のことは「すがる」と称されているので、信用できそうもありません。
『古今集』になると、仏教色が付きまといます。僧正遍昭は有名な、
という歌を詠じています。当時、「蓮」は極楽浄土の池にあるものとされていましたが、これも蓮葉の上の水玉を戯れていますね。なお「蓮の葉」のことは「荷葉」とも称されています。その「荷葉」は夏に焚く練香の名称ともなっており、『源氏物語』梅枝巻に登場しています。
一番よく知られているのは空也上人の、
でしょうか。空也の歌に「花」は詠まれていませんが、「蓮の上」というのは「蓮台」つまり「蓮の花」のことですが、極楽浄土の比喩でもありました。「一蓮托生」という熟語もありますね。また法然上人の詠んだ、
もあげられます。この歌に「蓮」は読み込まれていませんが、「花のうてな」というのは仏様の座る「蓮台」ですから、やはり「蓮の花」であることがわかります。
平安時代までは「蓮の葉」ばっかりで、「蓮の花」を詠むことは少なかったようですが、平安後期になると「はす」という訓が登場するのと同時に、
などと「蓮の花」が詠まれるようになっています。この場合は「はすのはな」がちょうど五音になるからかもしれません。加賀千代女には「桔梗の花咲く時ぽんと言ひそうな」という俳句がありますが、桔梗よりも「蓮の花」の方がよほど音が聞えそうですよね。
ところで「蓮華」とは文字通り「蓮の花」のことですが、なんと睡蓮の花のことも「蓮華」と称しているようです。ついでながら「睡蓮」に「睡」という漢字が使われているのは、夕方になって日差しが弱まると眠るように花を閉じるからだそうです。もう一つ、水生植物ではない「蓮華」もありますね。こちらは正式には「蓮華草」(マメ科)です。また「ゲンゲ」とも呼ばれています。よく春の田畑に咲いていますね。これはマメ科に特有の根粒菌が寄生していて、そこに肥料になる窒素がため込まれているからです。
ついでながら中華料理で使うスプーンのことも「レンゲ」といいますよね。これは一枚の「蓮」の花びらに似ていることから命名されたとのことです。それなら「睡蓮」の花でもよさそうですが、「睡蓮」は「蓮」と違って花びらを散らさないので該当しません。