🗓 2024年02月10日
吉海 直人
斎藤茂吉の第一歌集『赤光』を読んだことがありますか。現在は安価な文庫本もあるので、気軽に読めます。ただし気をつけなければならないのは、『赤光』が2種類存していることです。一つは大正2年に東雲堂書店から刊行された初版本系統です。もう1つは大正10年に刊行された改選版ですが、これはさらに大正14年に改選三版として出版されており、茂吉自身はこれを定本としています。
初版と改選版でどう違うのかというと、まず所載されている歌の数が大きく異なります。初版では834首だったのですが、改選版では760首に削られているのです。それだけなら大した違いではないかもしれませんが、茂吉はもっと思い切った改訂を行なっていました。
というのも、初版は刊行年の5月に母いくが、7月に恩師伊藤左千夫が亡くなっており、その死を傷む歌(悲報来)から始まり、時代を遡って逆年代順に作歌を始めた明治38年までの歌が収められています。それに対して改選版は、配列をひっくり返して、明治38年から大正2年までを年代順に並べているのです。歴代の歌集で、こんな改訂の事実は記憶にありません。これこそは『赤光』の不思議の一つでしょう。
どうしてこんな大きな改訂が行なわれたのか、その理由の一つとして大正10年に第二歌集『あらたま』を春陽堂から発行したことがあげられます。その際装丁に凝っており、『あらたま』の表紙を黒にし、東雲堂書店の『改選赤光』の表紙を赤にしています(赤と黒!)。そして『あらたま』は年代順に配列されているので、それに合わせて『赤光』も年代順に改めたのではないでしょうか。普通、そんなことはしないはずですが。
もう一つ、大正12年の関東大震災も忘れてはいけません。既に改選版が刊行された後ですが、初版本系統は結構人気があって、現代歌人の歌集にしては珍しく、版を重ねていました。読者は感情的な初版と、平静な改選版という2つのバージョンから好きに選べたのです。ところがその2年後に関東大震災が起こり、『改選赤光』の紙型が焼失してしまいました。それもあって改選版どころか初版の再版発行もできなくなったのです。
『あらたま』の出版元である春陽堂も被災しましたが、なんとか活字を組み直して再出版に踏み切りました。これにひきずられるように、春陽堂から『改選三版赤光』が出版されたのです。「三版」というのは、改選版を二版と見ての命名のようです。ただし『あらたま』の方は、活字を組み直したにもかかわらず、新版・改選版とは称していません。いずれにしても、これによって2つの歌集は名実共に姉妹編になりました。
こういった事情があって、『赤光』と『あらたま』の初版本は稀少となり、古書価格が高騰しているのです。もっとも『赤光』は、初版及び改選版がそれまでにかなり出回っていますから、『改選三版赤光』はさほど売れなかったようです。茂吉が改選三版を定本としたのは、売れ行きを気にしてのことかもしれません。
歌人斎藤茂吉はその後も長く活躍しており、生涯に17もの歌集を出版しています。それ以外に未刊の歌集として『いきほひ』『とどろき』『くろがね』という3冊の戦争歌集の自筆草稿本なども知られています(他に『歌集稿本』・『萬軍』もあり)。これは第二次世界大戦という事情があって、出版できなかったようです。
ところで面白いことに、第3歌集以下の売れ行きや評価は芳しくありません。結局、斎藤茂吉の代表歌集は最初の『赤光』でした。これがもう1つの不思議です。まだ若い(32歳)茂吉の第一歌集が生涯の代表作となると、文学に進化論は通用しないことになります。もちろん茂吉はずっと研鑽を積んできたはずです。それにもかかわらず、荒削りのはずの若い歌に傑作が多いというのは皮肉ですね(俵万智の『サラダ記念日』も同様です)。
なお売れ筋の『赤光』は、岩波書店と新潮社から文庫が出ています。新潮文庫の定本は初版本です。岩波文庫の定本は改選三版ですが、初版も付載されているので、1冊で2種類の『赤光』を同時に見比べることができます。一読をお薦めします。