🗓 2024年05月04日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

みなさん、「上毛」かるたを知っていますか。群馬県人なら、ほぼ百パーセントの人が知っている、遊んだことがあると答えるはずです。ただし今の若い人にとって、「上毛」という言葉は馴染みがないですよね。これは群馬県の旧国名でした。現在でも上毛新聞にその名が継承されています。

「毛」というのは「け」ではなく、畑でとれる穀物の意味です。みなさんは社会の授業で「二毛作」を習ったかと思います。これは同じ畑で一年のうちに異なる二種類の作物を栽培・収穫することです。そんな土壌の肥えたところが「上毛」だったのです。

では「上」はというと、実は「上毛野国」と「下毛野国」(栃木県)の二国に分かれていました。この二つを繋いでいる鉄道が両毛線です。後に「毛」が脱落し、「上野国」(こうずけ)と「下野国」(しもつけ)と称されていますが、「け」はそのまま読みに残されています。全国の地名を見ると、前後で分けられているところはたくさんありますが、上下は案外少ないようです。上総と下総(千葉県)くらいでしょうか。

とりあえず「上毛」の基礎知識を紹介したところで、本題のかるたに話を戻しましょう。かるたは江戸時代以降にさまざまなものが作られました。一番有名なのが「百人一首かるた」です。それに対していち早く大衆の中で考案されたのが諺を集めた「いろはかるた」でした。この「いろはかるた」の変形として、「郷土かるた」が誕生したのです。

古くは「江戸名所かるた」や「京都名所かるた」のような、観光ガイドブックを兼ねたものが商品化されています。それが第二次世界大戦後に、子供たちに地元の魅力を教えるという教育的配慮から、全国的に(教育委員会主導で)たくさんの「郷土かるた」が製作されました。もっとも、そういった大人の思惑の押し付けでは、子供たちが楽しく遊べるはずもありません。作ったのはいいが、ほとんど普及することなく多くの郷土かるたが消えていきました。

そんな中にあって、「上毛かるた」はちょっと異質かもしれません。というのも、作られた動機にしても、未来を担う子供たちに、郷土の歴史やすぐれた文化に触れることを通して、誇りをもって生きてほしいという願いが込められていたからです。かるたの生みの親は浦野匡彦(まさひこ)という人でした(元二松学舎大学理事長・学長)。その浦野氏に「郷土かるた」を勧めたのは、須田清基(せいき)でした。須田は台湾にいた時に作った「台湾かるた」を思い出したからでした。こうして昭和22年1月11日の上毛新聞に、題材(素材)の公募が掲載されました。そこから編纂委員18人が素材を選び、それに地元の画家・小見辰男氏が絵札を担当しています。こうして同年12月に初版が刊行されました。

この「上毛かるた」の成立事情として、語られていることがあります。もともとは群馬の有名人として小栗上野介・高山彦九郎・国定忠治の3人も候補にあがっていました。ところが日本を占領・統治していたGHQが難色をしめしたことから、入れるのを諦めたそうです。その代わり、ちょっとだけ意地を見せました。それは「ら」札に反映されています。当初「ら」は「雷と空っ風上州名物」でしたが、それを「雷と空っ風義理人情」に変更したのです。これは「義理人情」の中に国定忠治などはずされた人を投影しているのです。また「い」と「ら」の札の裏だけ赤くなっているのも、その決意の表明なのだそうです。

もう一つ、「上毛かるた」にはクリスチャンが2人も入っています。それは新島襄と内村鑑三です。確かに明治期におけるキリスト教伝道において、群馬県は先進的な地域でしてた。だから新島襄が入っているのですが、内村が入ったのは必ずしも公募数が多かったからではなく、裏で須田が積極的に動いたからだとされています。

ところで私を含めた同志社の関係者は、新島襄が選ばれていることはそれとして、「平和の使徒新島襄」という読み札には違和感を抱いています。新島は同志社の校祖であって、平和に貢献したというイメージにはなかなか結びつかないからです。

こうして昭和二22年に成立した「上毛かるた」は、戦後もっとも早くできた郷土かるたとされただけでなく、今日に至るまで群馬県に息づいている点に最大の特徴が認められます。その発行部数は既に累計151万部を超えています。これは全国の郷土かるたの中で最大の発行部数でした。そのため近年には全国大会まで開催されています。これも地域限定の郷土かるた界においては画期的なものでした。

その群馬県でも、最近は人口の減少が続いています。一見、かるたとは無縁のようですが、「上毛かるた」には「ち」に群馬県の人口が反映されていました。これも非常に珍しいケースです。初版では当時の人口に合わせて「ちからあわせる百六十萬」でした。それから人口は増加していったので、10万人増えるごとに改訂されてきました。最大は「ちからあわせる二百万」まで増えています。それがここにきて「百九十万」に減少したのです。さてここで踏みとどまるのか、それともまた減少するのでしょうか。

いずれにしても「上毛かるた」には、こういった興味深い問題が内包されていること、おわかりいただけましたか。