🗓 2024年11月16日
吉海 直人
「リンゴ」にちなんだお話をします。「リンゴ」は、私たち日本人の生活においては普通にある果物なので、あまり意識したことはないかと思います。しかし「リンゴ」は、決して古くから日本にあった果物ではありません。「林檎」と漢字で書くことから、もとは中国原産の果実だったことが察せられます。
それが古く日本に輸入されたようで、俗に「和林檎」と称される実の小さいものがあります。ですがあまりおいしいものではなかったようで、食用果実としては取り上げられていません。そのためか、古典文学にも「リンゴ」はほとんど登場していません。平安朝の貴族は、誰も「リンゴ」を食べていなかったのです。
日本人が「リンゴ」を果物として食べるようになったのは、下って明治以降になってからのことです。一説によると、明治7年にアメリカ産のおいしい「西洋リンゴ」の苗がキリスト教の宣教師達の手によって弘前(青森県)に植えられてから、東北・北海道を中心に急速に栽培が広まったとされています。
もっとも私が子供の頃に食べた「リンゴ」は、今と比べるとずっと酸っぱいものでした。「リンゴ」は酸っぱい果物だったのです。現在では品種の改良が進み、大きくて甘い密入りの「リンゴ」が日本の特産品として生産され、世界中の人々に食されています。
ところで、みなさんは「リンゴ」という言葉から何を連想しますか。万有引力を発見したニュートンですか、弓の名手ウイリアムテルの逸話ですか、それとも「毒リンゴ」を食べた白雪姫ですか。現代の若い人はアップル社(マッキントッシュ)かもしれませんね。一度徹底的に「リンゴ」が登場する文学作品を洗い出してみるのもいいかと思います。
聖書との関連では、アダムとイヴの食べた果物を思い浮かべます。ところが旧約聖書の創世記には、「リンゴ」という言葉は一切見当たりません。皆さんが持っている新共同訳ですと3頁の2章17節ですが、抽象的に「善悪の知識の木」とあるだけで、具体的な植物名は明記されていません。この点については多くの人が、おそらくクリスチャンでさえも誤解しているようです。
もちろん「リンゴ」は、聖書の他の箇所、例えば雅歌の中で、葡萄と共に愛の象徴として用いられていますが、それも必ずしも「リンゴ」というわけではなく、あんずであるという説もあります。いずれにしてもアダムとイヴの話に、肝心の「リンゴ」は全く出てこないのです。
というのも、ご承知のように「リンゴ」は寒いところで育つ木だからです。これが今のように「リンゴ」に固定されたのは、1667年に刊行されたミルトンの『失楽園』からだとされています。『失楽園』というと、今の若いみなさんは渡辺淳一の小説や映画を思い浮かべるかもしれません。しかしながら世界的な文学としては、もちろんミルトンの方が断然有名です。そのミルトンの『失楽園』が世界中に広められたことによって、いつしか聖書の「善悪の知識の木」が「リンゴ」に誤認・特定されていったのです。
『失楽園』の最初の日本語訳は、明治36年に『失楽園物語』として繁野天来氏によって刊行されています。最初の日本語訳を見ると、「彼等をして禁制の林檎の実を味はしめしに」と、はっきり「林檎」と記されていました。それに関連して、みなさんは「アダムズアップル」という言葉を聞いたことがありますよね。イヴはかじった「リンゴ」を呑み込んでしまったのに、アダムは「リンゴ」を飲み込めず、喉に詰まらせてしまいました。それが男性の喉にある「喉ぼとけ」(アダムズアップル)の由来ですが、なんとなく男性の小心さを物語っているようで、私は気に入っています。
今回は果物の「リンゴ」について、聖書ではアダムとイヴの食べた果物とは特定されていなかったのに、ミルトンの『失楽園』という作品における二次解釈によって、それが「リンゴ」に特定(限定)されていることを紹介しました。私たちが単純に聖書に書いてあると思い込んでいることが、案外聖書以外の知識によって誤読されていることもあるのです。