🗓 2022年04月03日
若松第2幼稚園の上嶋園長から紹介を受けて文化センターで行われた映画を見てきました。
「われ弱ければ 矢島梶子伝」三浦綾子原作山田火砂子監督です。90歳である監督の舞台挨拶も聞いて感動しました。
主人公は熊本の猛婦矢島梶子です。新島八重とは愛国婦人会で活動を共にしました。梶子の姉は横井時雄の母であり、山本覚馬の娘みねが小楠の子時雄と結婚したので遠縁になります。若松幼稚園の創始者海老名リンは家老海老名季昌の妻ですが東京にいる時はキリスト教婦人矯風会の副会長であり、矢島梶子を補佐する立場でした。幼児教育の重要性が大事であることを矢島梶子を通じて知ったために会津に帰ってから、若松最初の幼稚園を作ったのです。また、矢島梶子は眼光鋭く「ビーム」(光線)と生徒たちにあだ名されていました。
明治草創期には江戸時代の男尊女卑の風土であり、梶子・八重たちは女性の地位向上のために努力しました。