🗓 2019年10月23日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

前に八重の姓が三種類あることを述べましたが、実は名前についてもいくつかの表記が認められます。

まずは漢字表記ですが、正式には「八重」です。「子」は付いていませんでした。ところが明治以降、末尾に「子」を付けることが一般化すると、八重自身も「八重子」と署名することが多くなっています。そのため「八重」と「八重子」とどっちが正しいのかという疑問が持ち上がったわけです。それに対してはどっちも正しいとしか答えようがありません。慣用表現というか許容範囲だと思って下さい。

次は仮名表記というか発音についてです。会津で生まれ育った八重は、京都に来てもずっと会津弁のままでした。それが名前の表記にも反映していたのです。普通「八重」は「やえ」ですよね。ところが「やい」とか「やゑ」とか方言で発音していたようなのです。
そのことはたまたま八重が自分の名前をローマ字というか英語で筆記したことからわかりました。戸川さんも指摘していましたが、八重は自分の名前を「Yaye」と表記していたのです。普通は「Yae」ですが、これだと「やゑ」と発音することになります。そればかりではありません。他に「Yai」も見つかりました。この場合は「やい」ですよね。

これは方言が反映されている明らかな証拠になりそうです。東北方言というのか会津弁では、「え(へ)」と「い」が曖昧というか、入れ替わることがあったようです。八重の手紙を調べてみると、「違い」が「違へ」、「厭い」が「厭へ」になっていたり、「買い物」が「買へ物」、「推察」が「すへさつ」、「二階」が「にかへ」、「長らへて」が「長らゐて」に、また「ついつい」は「つへつへ」になっていたりしていたからです。これは単なる表記ミスではなく、まさに会津特有の方言で表記されたことで生じたのでしょう。

方言が発音に留まらず、表記にまで影響を及ぼしている例として、「板かるた」をあげることができます。前に北海道で遊ばれている「板かるた」は会津で発祥したことを述べましたが、その決定的な証拠が百人一首の表記に残っていたのです。
試みに私の手元にある「板かるた」二種を例にあげてみます。

人しれずこそおもへ染しが
ながくもがなとおもへぬるかな
さしもしらじな燃るおもへを
花ぞむかしの香に匂へける
けふ九重に匂へぬるかな
流れもあいぬ紅葉なりけり
からくれなへに水潜るとは
通常通り
人しれずこそおもへそめしか
ながくもがなとおもへぬるかな
さしもしらじなもゆるおもへを
花ぞむかしの香に匂へける
けふ九重に匂へぬるかな
流れもあいぬ紅葉なりけり
通常通り
閨のひまさいつれなかりけり

百首の中に七つも方言表記が見つかったのです(これがどう読まれていたのかも気になります)。これが北海道でも方言表記のまま使われているのですから、ルーツが会津であることは否定できません。八重さんのおかげで「板かるた」のルーツまで確定することができました。