🗓 2023年03月29日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

ことわざに「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」とあるのをご存じですよね。ただし中には、「桜折る馬鹿、梅折らぬ馬鹿」ではなかったかなとか、桜と梅が逆だったかなとか、うろ覚えの人もいるようです。みなさんは正しく覚えていますか。
 これに類似するものとして、「桜折る馬鹿、柿折らぬ馬鹿」があります。また「桃を切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」もあります。ここに引かれている桜も桃も梅も、みんな同じバラ科の植物ですが、枝を切っていい(切った方がいい)ものといけないものがあるようです。
 桜の枝は切ったり折ったりすると、そこから菌が入って腐ったり枯れたりしやすいのだそうです。それに対して梅や柿は、切ったり折ったりしても大丈夫どころか、剪定した方が新しく枝が生えて。翌年の花や実のつきがよくなるそうです。このことわざがいつからいわれているのか、残念ながら初出はわかっていません。おそらく比較的新しくできたもののようです。
 さて桜を切った話ということでは、小さい頃にアメリカの初代大統領であるジョージ・ワシントンの伝記を読んだことがあります。日本が友好のために桜を贈ったのはそのずっと後ですから、アメリカにも桜はあったことになります。そう思って納得していたところ、とんでもないことがわかりました。
 それは何かというと、ワシントンが桜を切って、正直に父親のオーガスティンに「切ったのは私です」と告げたところ、かえって父に褒められたという美談、あれはまったくの作り話だったというのです。というのも、ワシントンの「桜の木の逸話」は、牧師のメーソン・ロック・ウィームズ著『ジョージ・ワシントンの生涯と記憶すべき行い』に紹介されているものですが、なんと初版から四版までには書かれておらず、五版になって突然増補されているからです。
 そこから桜の木のエピソードは、ワシントンの伝記には存在していなかったと考えられています。それが子供向けに、うそをついてはいけないという教訓を教えるために、ウィームズが創作して後から付け足したというのです。うそをついてはいけないという話がうそだったとしたら、それは逆効果ですよね。この場合はうそも方便なのでしょうか。
 もう一つ、桜を切った話を紹介しておきましょう。それは新島八重が若かりし頃の新島襄の逸話として語ったものです。そこには、

襄が若い時代に、ある時友人と王子のほうへ桜見に参つたことがあります。ところが、そこに桜一枝折れば一指をきるという意味の高札が立ててございました。襄はこれを見たとたんに、刀を引きぬいて、そこにあつた桜の枝をきつたので、桜見に来ていた人々は、酔どれがあばれるのだろうと、危険を感じたものか、みんなおそれて遁げたそうであります。

(新島研究19・1957年7月)

云々とあります。しかし同志社の高祖の逸話としてはふさわしくない内容なので、あまりおおっぴらに語られることはなかったようです。でもこれはただの乱暴狼藉ではありません。襄が許せなかったのは、高札に「桜一枝折れば一指をきる」とあったからでしょう。おそらく襄は人の命が軽んじられていることが許せず、憤ったのではないでしょうか。

もちろん桜にはなんの罪もないのですから、襄が桜を切ったことは感心できません。襄本人も、若い頃の自分は粗暴であったと反省しているようです。どうやら八重は、襄が弟子たちによって神格化されるのが嫌で、あえて襄の欠点をさらけ出すことで、襄は普通の人間だということを主張しているように思えてなりません。
 ではこの逸話、一体どこまで本当の話なのでしょうか。八重の創作(話を面白く語る)は混じっていないのでしょうか。というのもこの話は、浄瑠璃「一谷わかば軍記」(宝暦元年初演)の三段目「熊谷陣屋」の中で、源義経が熊谷直実に「伐一枝者可剪一指(一枝をらば一指をるべし)」という制札を与えて、桜を守らせているところを踏まえているからです。
 もうおわかりですね。襄が見たという高札の「桜一枝折れば一指をきる」には出典があったのです。歌舞音曲の類が嫌いだった襄は、これが浄瑠璃の有名な一節だということに気が付かなかったのかもしれません。あるいは八重がこれをうまく襄の逸話に盛り込んでいるのかもしれませんね。