🗓 2019年08月26日
なぜ今か?
新島八重顕彰会設立について
生き残った白虎隊士が、飯盛山に散った白虎隊士を羨んだ話が伝わる。戊辰戦争に敗れた会津藩士は斗南の地に追いやられ挙藩流刑ともいえる処分を受けた。廃藩置県により斗南を去る者残る者いずれも塗炭の苦しみの中で自らの人生を切り開いていった。実質7000石と言われた不毛の地での生活苦はすさまじいもので、死んで名を遺した戦友の白虎隊士を羨望する気持ちを責めることはできない。
会津藩士の家族は「日新館童子訓」を基本として家庭内で教育されており、女性までその教育は徹底されていた。「ならぬことはならぬ」の「什の掟」は男子の遊び仲間のルールであり、会津藩士家族の規範は「日新館童子訓」にあった。関東学院大学の創立者坂田祐は会津藩士日向内記の孫であるが、その自伝に会津藩士の家に生まれた母親の立派なことを誇りにしていることを書いた。そんな母の父が少年白虎隊を置き去りにするなどと卑怯なふるまいをするはずがないと会津に帰郷した折に想った。今では日向内記が白虎隊士を置き去りにしたというのは会津では少数意見となっている。また会津藩若年寄の後裔である田中清玄の母(現早稲田大学田中愛治総長の祖母)は、左翼思想に染まった息子のために死をもって諫言した激情の婦人であった。「自分は死をもって諌める。おまえはよき日本人になってくれ。私の死を空しくするな」の遺書を残した。
八重の回想にもあるように八重がその「日新館童子訓」すべてを暗唱した時の喜びは相当なものであった。「学者になったような気持ち」と率直に述べている。会津女学校の生徒が修学旅行で京都を訪れた時や八重が会津訪問をした時に女学校の生徒を前に高らかに「日新館童子訓」を諳んじて「美徳」を説いた。
山川健次郎や井深梶之助をはじめ、戦後の困難に立ち向かい自らの人生を開き、教育にささげた旧藩士も数多い。
現在会津若松市には会津藩女子の顕彰会が「中野竹子顕彰会」と「なよ竹顕彰会」とあるが、いずれも戊辰戦争に散った女性を顕彰している。
会津藩士山本覚馬・八重兄妹は戊辰戦争後を生き抜き同志社創立に、あるいは京都の産業発展に尽力した。二人の兄妹を顕彰・研究することにより愚直なまでに「義」を貫き通した会津士魂を後世まで伝える一助としたい。
2011年の東北大震災後、NHKは大河ドラマの主人公に新島八重を選び「八重の桜」を放映した。八重を通して被災地に元気を届けようとの想いであった。ヒロインの綾瀬はるかさんは放映後も毎年行われる「会津まつり 藩公行列」に参加され、東北にエールを贈り続けて下さっている。
新しく令和と元号が変わり、2020年には東京オリンピックが開催される。八重のいう「美徳をもって飾りとなす」は世界に通ずる普遍の精神であると考える。環境問題や紛争など「美徳」の精神を以て十分に議論を尽くせば、決して容易なことではないが、平和的な解決が導き出されるのではないでしょうか。
(文責:岩澤信千代)