🗓 2019年09月20日

ああ上野駅 その2

 
 東京←→会津若松は、今では新幹線もでき、高速バスも運行され、インフラの面で随分と整備された。私が若い時の交通手段は、上野駅発着の特急「あいづ」が主流であった。長男が生まれるとき、妻は自分の実家で出産した。当時初めての子は妻が実家に帰り、安定した精神状態で出産するというのが風潮でもあった。叔母も第2子を実家で生んだ。従妹もその時一緒だったので、子供時代にその従妹と一緒にいたのが一番長かったかもしれない。私には父方の従弟が16人いるが、一番長く子供時代を過ごした従妹となった。

一番近い郡山に住んでいた従妹とは一番会う回数は多かった。国立の岩手大学を卒業して、就職して間もなく交通事故で亡くなった。ちょうどその時、ジャンボ宝くじで10万円が当選し喜んでいたのだが、そのまま、従妹の香典になってしまった。宝くじへの興味もなくなった。もう一人、中国語が得意で、これから日中の懸け橋になるだろうと嘱望していた従弟が、マカオで飲食物をのどに詰まらせ若くして亡くなった。従って今では私の従弟は14人である。

さて話は飛んだが表題に戻ろう。出産を控えた妻を実家に送り届けるために特急「あいづ」の出発ホームで妻と電車を待っていた。おなかが大きくて、ホームのベンチで列車を待っている妻の写真がどこかにあるのだが見当たらない。緑のマタニテイドレスを着た映像が頭にあるのだが、どこへしまったのか。特急「あいづ」の出発ホームは決まっていてここしかないはず(確か、上野駅22、3番ホーム?)だが、出発時間が迫れども、ホームに人がいない。ホームには私と妻だけだ。あれ、どうしたのかなと思っていると列車が入ってきた。

そこから、なんと平成天皇と美智子妃殿下(当時は皇太子ご夫妻)が降りてこられた。妻もベンチから立ち上がったが、2メートルと離れていない至近の距離で私たちの目の前を通り過ぎて行かれた。警備の人たちが身重の妻をホームから移動しろと言わなかったのを感謝する。私の長男は1982年8月10日生まれであるが、上皇ご夫妻と会った日付は特定できる。翌日新聞に載ったからだ。当日皇太子夫妻は5月23日に栃木県で開催された「全国植樹祭」に出席されての帰りだったのである。特に功績のない私が園遊会に呼ばれ妻を同行することはまずないだろうが、至近の距離で妻と高貴な人に会えたのは偶然の賜物であった。

(文責:岩澤信千代)