🗓 2019年09月24日

【もも】との別れ

 
それは突然やってきた。今年の5月の連休にうまいそば屋が山形県にあると女房を連れだした。仙台に勤務していたころ、部下に誘われて何度か行った店である。そこの「鳥そば」がうまい。
ところがどっこい、仙台勤務の時は運転手付きの車に乗っていたので、道がわからない。東北中央道が出来て便利になったのだが、高速の山形中央ICでおりてしまった。そこから「孫」で有名な歌手が住んでいる河北町まで時間がかかり、お店についたのは昼の12時をゆうに回っていた。

そして現地について唖然とした。すごい行列なので、相当な待ち時間が予想された。諦めて帰り道の中華そば屋でラーメンを食べて帰った。気が済まないのは女房である。前にも書いたが、食べる事には執着心が強い。

そして思い出したように今日言う。「あのおいしいそば屋はどうなったの?」脅迫されるままに重い腰を上げ22日の会津まつりの藩侯行列をそっちのけで、山形県河北町の「一寸ちょっと亭」本店へ向かった。
寒河江ICで降りて、途中山形方面へ逆走したりしたが、なんとか行列のできる前に到着し、待ち時間もなく、私も妻も3、4か月ぶりに本懐を遂げることができた。

帰りの途中、米沢の小野川温泉近くの有名な卵を買い、おかずを若松市内で買うなどして帰宅した。そこで待っていたのは「ももの死」であった。夕食時に私の母親が絶命した時の模様を涙ながらに私たちに言う。

 私に押し付けた友人にその死を告げ、彼の所有する土地に埋葬する事にした。
私達はスコップを用意して行ったのだが、彼の会社に勤める従業員は、わざわざユンボで穴を掘ってくれて、埋葬するのを手伝ってくれた。

 埋葬が終わり、自宅に帰ってきたのだが私の母親は「なぜ私をももの埋葬に連れて行かなかった。」となじる。
 いわゆる嫁姑仲の悪い母親と妻との緩衝材になってくれた、ももの死は、今後いかなる困難を我が家にもたらすであろうか。

 元の飼い主からメールが届いた。「もしかしたら、モモちゃんは岩澤の代わりに亡くなってくれたのかもしれない。可愛がってくれた飼い主が病気になると、ペットが飼い主の病気を背負って代わりに亡くなることが、よくあるんだ、この世の中では。」

  ん? 2.3日前にさば缶をなめていたモモを、塩辛いのを食べたらいけないと足蹴あしげにしてしまった。私の行いに反省しきりだが、ありがとう。
私達家族と12年以上付き合ってくれた「もも」に感謝する。
 

(文責:岩澤信千代)