🗓 2019年11月02日

井口資仁ロッテ監督

 
 ここのところ、大船渡高校の佐々木朗希投手をドラフト1位指名で獲得したロッテマリーンズの井口資仁監督が頻繁にテレビに出ている。女房が「井口選手がまたテレビに出てたよ。」笑顔で言う。

これには訳がある。実は女房は井口選手が偉大な選手になったその努力を日常的に見ていたのである。

私たち家族は会社勤務のときに東京田無市(現西東京市)に5年間住んだ。子供たちが幼稚園、小学校低学年の時である。群馬県の桐生市から転居したのだが、そこは大邸宅の離れであった。低いブロック塀のすぐ向こうに井口家族が住んでいたアパートがあった。

私たちの敷地は少し高くなっていて通路を通るたびに井口家の食卓が丸見えである。井口家は一階に住んでいて、夏は窓が空いているからおかずまで見えるのであった。家族団らんで食事をしていたのを何度も目撃した。

私が会社から帰ってきたら妻が言った。「隣の井口君が頑張って練習しているので、牛肉を買ってお母さんに渡してきたよ。」 「でかした。」この時ほど妻を誇らしく思ったことはない。
 実は、私も井口親子の懸命な練習風景を休日に目のあたりにしていたからである。アパートの敷地は狭い。誰が考えたのか知らないが。井口君の母親がバトミントンの「はね」を放り投げ井口選手がそれを懸命に打つのである。国学院久我山の高校生の時であった。

その後、私たちは札幌に転居したのだが、井口選手が青山学院で数々の記録を打ち立てプロ野球に入ってからも活躍するのを遠目に見て応援していた

「よい選手イコール良い監督」にならないのはスポーツの世界では常識であるが、あの母子の素振りをみていた私たちにとっては、井口選手は監督としても大成すると信じている。
井口選手の母は優しい星一徹ではなかったかと今も思う。あの親子の真剣度は違った。今この稿を書くにあたり女房に取材したところ、「田無を引っ越すときに井口家に挨拶に行った。甲子園のグッズ(袋)を二つもらったが、引っ越しを重ねたから今はない。」とのことである。
嗚呼、何たるチア。

(文責:岩澤信千代)