🗓 2019年11月12日
“肝”を食う
戦争はいかなる場合においても、正当化されるものではない。兵士の向こうには必ずや家族がいる。その死を悲しむ家族がある。しかし、バーチャルな世界にいる我々はテレビゲームのように人間が殺害されていくのを知らずしらず映像で見ている。
戊辰戦争時には当然のこととのように考えられていたことがある。それは会津藩兵にあった。「敵のキモを食うと勇者になれる」というものだった。上級武士はいざ知らず雑兵には深く根付いていた。キモとは肝臓のことである。敵の腹わたを食うと長生きできるという迷信が支配した。医学的な根拠は全くないだろう。
悲惨な話としては嘘か本当かわからないが西軍が白虎隊士の頭蓋骨で酒杯を作り酒盛りをしたという話が伝わる。その時歌いながら酒を飲んだという、その歌まで伝えられている。
時が変わり、明治10年頃の西南戦争での話である。今度は同じような迷信が西郷軍に広まった。敵のキモを食うと勇者になれるという噂が広まった。西郷軍の一団が政府軍の敵を捕らえてイザ殺害して肝を食おうとなった。そこでその捕虜に氏素性を聞いた。捕虜は答えた「戦争が怖くなって隊列から逃亡してきた。」そこにいた西郷軍はあきれて言った。「敵前逃亡してきたような捕虜のキモを食ったらますます臆病になってしまう。」と。そこでその捕虜は釈放されて放免された。
これはその場にいた西郷軍の兵士の目撃証言なので事実であろう。「臆病が命を救った」珍しい事例である。
とはいえ、今でも世界でのどこかで主義主張の争いで戦争もしくは反政府活動で流血事件が多発している。「貧困」に「環境」にお金を使えば地球上の多くの人が幸せになるのに殺戮に使う兵器開発などに投資している矛盾が数多く散見される。
「世界の平和」を言うはたやすく、実現するのは誠に困難な状況に我々はいる。
(文責:岩澤信千代)