🗓 2020年04月09日

会津図書館に行き、会津史談会誌第20号を借りてきた。昭和15年2月発行である。その目次の中の「史蹟調査」(材木町、柳原方面)横山新八著の中に攬勝亭が記述されていた。
 大正15年8月より片柳町の森弥五郎氏の別荘であったこと及び同氏が所蔵していた「攬勝亭沿革記」が掲載されており、内容は丹羽勘右衛門が景色を写生し京都、江戸の高名な人たちに正容が提示した10景題の賛を書いてもらったとある。ここまでなら、鈴木茂雄著の「会津の名園」の記述と同じで目新しいものはない。なぜ、鈴木氏が野矢常方、添川廉斎を導きだしたのか知りたかったのだが不発に終わった。

但し、柳原の説明文の中に以下の記述があった。

風光明媚で野矢常方の詠あり。
むつましふこの川添の柳原老いての後は我もすまはや

この川のそばにある柳原の景色は素晴らしく、年をとったら私も是非住みたいものだというものだろう。

という和歌が紹介されていた。10題の賛にはそれぞれ和歌が添えられているのだがそれはおそらく元禄13年頃実在した京都、江戸の高名な賢者の作であろう。付された五言絶句の漢詩も当時の賢者の作であろう。この五言絶句は樋口先生に解読をお願いしている。まくりの七言絶句は添川廉斎との関連が出てくるのかはこれからの課題である。

(文責:岩澤信千代)