🗓 2021年01月11日
新型コロナに感染した部屋の力士を除外して、初場所が開催されることになった。65人の力士が休場という前代未聞の開催である。十両以上の関取の休場は16人だという。陽性反応が出た白鵬・福島出身の若隆景も休場で寂しい場所になった。腰痛で4連続休場になった鶴竜は、次の場所で進退をかけることになる。
ただ、今場所は大関貴景勝の横綱昇格期待とカド番2大関が脱出できるか注目すべきところもある。また大横綱大鵬の孫王鵬(納屋改め)の活躍を見る楽しみがある。
長年にわたりお世話になったYさんに、夫婦そろって大相撲に招待されたことを思い出した。両国駅で待ち合わせをしたのだが、Yさんは約束の時間に大幅に遅れ、見られたのは結びの一番を含め、3つの取組みだけであった。初めて桟敷席で見たが、力士の肌は白く芸術的な造形であり、お相撲さんが女性によく持てるのがわかる気がした。
観戦後食事をし、Yさん行きつけの銀座のバーに行った。同じカウンターに三菱商事の社員が5名ほどで飲んでいた。出身校は東大・一橋・早稲田などのエリート集団で同期生同士飲みに来ていた。カトリーヌなんとやらの卑猥な歌を彼らが歌ったので、初めて私はその歌の存在を知った。
Yさんのカラオケを妻とともに初めて聞いたが、とても上手だったのには驚いた。
東北大震災が発生したときに私はYさんと電話で話している最中だった。私が揺れを感じてしばらくして東京も揺れを感じたようで私たちは慌てて電話を切った。揺れが強いので私は建物の外にしばらく様子を見屋内のテレビを聞いていた。私はしばらく戸外にいたが隣の家の奥さんは揺れが収まってから家に戻るのだが、何度も余震ですぐに外に出てきたのを目撃した。当時それが津波・原発の大爆発などの大惨事につながるとは到底思わなかった。あとになって、会津には慶長の大地震(1611年)があって女房の実家がある高久は町ごと移転した史実などがあることを知った。丁度符合するのだが400年後の出来事であったのである。会社員時代仙台支店に2年間勤務していたので気仙沼の炎上とか女川の津波をテレビで見ていて胸が締め付けられるようだった。行くと必ずアワビをくれた三陸のお客様は無事だったろうか。気仙沼の病院長は無事だったろうか。無力の私には何もなすことができない。その時点では福島原発の電源喪失の為所長を含め東京電力の社員がぎりぎりの戦いをしていたことなど知る由もない。
新型コロナを含め自然の脅威が身に染みる現今であるが、克服していかなければならないのが私達人類の宿命である。
何故観客を入れて大相撲を開催するのか、ラグビーを開催するのか、多くの自治体が成人式を休止しているのに?という疑問があり、主催者のどの判断にも可否をつけることができないこの頃である。
(文責:岩澤信千代)