🗓 2021年05月29日
吉海 直人
日本語の場合、数字の読みとしては音で「いち、に、さん、し、ご、ろく、しち…」と読む読み方と、訓で「ひい、ふう、みい、よ、いつ、むう、なな…」と読む読み方があります(別に一つ・二つもあります)。これだけ見ると、平然と使い分けられているように思えますが、実はこの中に別の読みを持っている数字が含まれています。それは「四」と「七」です。
「四」は音の「し」が聞き取りにくいのか、「よん」と読んでいるケースが少なくありません。しかも「四」には「よ・よつ・よん」と三種類の読みがあるので、日本語教育では教えるのに苦労しているかもしれません。「七」の「しち」にしても、聞き取りやすい「なな」で代用されることがよくあります。京都の地名「一条(いちじょう)」「四条(しじょう)」「七条(しちじょう)」は特に聞き間違いが多いことで有名です。いずれにしても、微妙に音と訓が入り混じっていることには留意してください。
これらの数字にさらに助数詞が付きます。日本語には実に多くの助数詞があって(五百ほど)、日本人でもうまく使い分けられていません。発音の変化でよく例に出されるのが「本」ですね。数字に「本」を付け、「いっぽん、にほん、さんぼん」と数えると、数字によって「本」が「ぽん、ほん、ぼん」と三種類に変化するからやっかいです。日本人だったら当たり前かもしれませんが、外国人にはどうして半濁音や濁音になるのかきちんと説明しなければ納得してもらえません。でもなかなか合理的に説明できないのです。
これに関して日本語では、促音便「っ」の場合は「ぽん」になり、撥音便「ん」の場合は「ぼん」になると習います。「いち」は促音便化するので「いっぽん」、「さん」は撥音便化するので「さんぼん」というわけです。これなら合理的ですね。ところが次の「四」で躓きます。もともと「し」と読めば「しほん」で何の問題もありません。それを「よん」と読むことで、「さん」と同様に「よんぼん」と類推されます。しかしすぐにこれは「よんほん」ですと駄目出しされてしまいます。この場合、音便化の法則でどう切り抜けるのでしょうか。仮に「よん」は訓読みだから「ぼん」にならないと説明されたら、それで納得できるでしょうか。
「七」の場合、「しち」でも「なな」でも読みは「ほん」です。むしろ「八」は「はち」と読むと「ほん」だし「はっ」と読むと「ぽん」になります。ついでに「九」には「く」(呉音)と「きゅう」(漢音)という二つの読みがあります(九条は「くじょう」です)。時間の「分」も「いっぷん、にふん」まではいいのですが、「三分」は「さんぶん」ではなく「さんぷん」になります。「四分」も「よんふん」よりも「よんぷん」が一般的です。「本」の場合とは明らかに法則が違っています。どうやらハ行の助数詞が曲者だということが見えてきました。こういった規則性の乱れに、合理的科学的な説明はつけられそうもありません(慣用?)。
また数字に「人」がつくと奇妙な変化が生じます。「一人」(ひとり)、「二人」(ふたり)まではいいのですが、「三人」になったとたんに「さんにん、よにん」と「にん」に変ってしまうからです。これも訓と音のせめぎあいによるのでしょうか。似たような例として「日」もあげられます。「日」という助数詞を当てると、「一日」が「いちにち」ではなく「ひとひ」でもなく「ついたち」となります。これは数字よりも「月立ち」という旧暦の名残が優先しているからです。この場合、必ずしも「日」を「たち」と読んでいるわけではありません。あくまで熟語としての読みです。それが「二日」になると普通に「ふつか」になります。「三日」は「みっか」、「四日」は「よっか」ですから、「日」は数字の訓読みと結合して「か」と読んでいることがわかります。しかしそれも十日まで。十一日以降は「じゅういちにち」と音読みに転換しています。ただし十四日と二十日だけは「じゅうよっか」「はつか」です。これも外国人には理解しにくい(説明しにくい)のではないでしょうか。
日本語の数字の読みの複雑さ、おわかりになりましたか。特に「四」と「七」に問題があること、それから助数詞との組み合わせによって奇妙な変化が生じること、そこには訓と音の使い分けだけでなく、古い言い方と新しい言い方とのせめぎあいも含まれているようです。