🗓 2021年07月10日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

よく日本語は主語が省略されやすいといわれています。そのため外国語に翻訳される場合、訳者が大量に主語を補わなければならないそうです。有名な話として、川端康成の『雪国』の冒頭が例にあげられます。
  国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
 この冒頭の「国境」に関して、昔から「こっきょう」と読むのか「くにざかい」なのかという論争が続いています。「こっきょう」では外国との境になるので、「くにざかい」と読むべきだという意見が強いのです。ただし明治以降は、県境はあっても「くにざかい」などないので、それも決め手に欠けます。むしろ川端の美意識として、冒頭に濁音は置かない、という意見の方がよほど納得できます。
 それはさておき、この一文の主語は何でしょうか。日本人ならそんなことに一々目くじらを立てたりしませんが、翻訳を担当したエドワード・G・サイデンステッカーはそうはいきません。やむなく「The train」、つまり列車(汽車)を主語として補ったということを講演で伺ったことがあります。
 この問題はそれで解決しました。ところが『伊豆の踊子』では、もっとやっかいな問題に発展しています。それは小説の終章部分、主人公の「私」が踊子と別れて船に乗り込む場面です。

私が縄梯子に捉まらうとして振り返った時、さよならを言はうとしたが、それも止して、もう一ぺんただうなづいて見せた。

この文章では、「さよならを言はうとした」のは誰か、ということが議論されています。その答は二者択一です。つまり「踊子」か「私」かのどちらかということです。もともと動作主が抜けているので、そこに解釈の揺れが生じたわけです。
 これが大きな騒動になったのは、この部分を含む『伊豆の踊子』が、中学校あるいは高等学校の国語の教科書に採用されたからでした。それ以降、複数の国語の教師から教科書会社に問い合わせがあったことで、研究者まで巻き込んだ論争に発展したのです。教える側としても、正解をはっきりさせてほしかったのでしょう。
 これに対して川端自身は、最初は「踊子に決まっている」、それがわからないのは「読みが足りないからである」と強気でした。その根拠の1つは、「もう一ぺんうなづい」たとあることです。「もう一ぺん」とあるからには、それ以前に「うなづい」ていることが前提になります。そこで前に戻って調べてみると、

・踊子はうなづいた。
・私の言葉が終らない先き終らない先きに、何度となくこくりこくりうなづいて見せるだけだった。

と2箇所に踊子がうなづいている描写が見つかりました。これを受けての「もう一ぺん」なのだから、うなづいたのは踊子以外にはありえないというわけです。

ところが川端は途中で弱気になって、次のように発言しています。

読者の質問にうながされて、疑問の箇所を読んでみると、そこの文章だけをよく読んでみると、「私」か踊子かと迷へば迷ふのがもっともだと、私ははじめて気が付いた。「〈本文略〉」では、「さよならを言はうとした」のも、「うなづいた」のも、「私」と取られるのが、むしろ自然かもしれない。  (「『伊豆の踊子』の作者」『一草一花』)

入試問題に文学作品の一部が出題されると、部分的な解釈と全体の解釈でずれが生じることがよくあります。ここもそれに近い現象と考えられそうです。だから全体を見通して、その上で「私」を支持した人がいました。その代表者がサイデンステッカーでしょう。彼の英訳を見ると、「I wanted to say good-by,but I Only nodded againn」となっており、主語は「私」として訳されていたのです。

もともと『伊豆の踊子』は、全体を通して「私が見た風に書」かれた作品でした。そのことが誤読を生じさせる最大の要因ともいえます。「私」が主体なのだから、「もう一ぺん」くらいでは、踊子を主語にすることはできないのです。要するに『伊豆の踊子』の一人称の語りは、最後のところで破綻をきたしていたことになります。そのことに気付いた川端でしたが、増刷されても新版が出ても手を入れることをしませんでした(英訳も改訂されていません)。それは主語を補えば済むような問題ではなく、作品の本質にかかわるものだったからです。
 そんなことなどお構いなしに、『伊豆の踊子』は川端の出世作の1つとして、映画やテレビでもしばしば上演されています。今度見る時は、主語が「私」と踊子のどっちになっているか、注意して確認してみてください。