🗓 2021年08月16日
アフガニスタンのニュースを見ていたら、米軍駐留の原因になった2001年9月11日の朝、ニューヨークのワールドトレードセンターのテロを思い出した。
当時私は単身赴任で静岡県の清水市(現静岡市清水区)にあった支店に勤務していた。アパートまで支店から5分くらいのところに住んでいたのであるが、途中の「寿司政」で定食を食べて帰るのが常であった。その時は、どういううわけか夜半の11時頃立ち寄り、ビール一本といつもの定食をオーダーした。確かもう1名顧客がいたと思うが二人でカウンターに座りビールを飲みながらテレビを見ていた。そしたら旅客機がワールドセンタービルに突っ込んでいき、ビルが崩壊する映像が映し出されていた。これは映画の特撮ではない、現実なのかと我が目を疑った。当然定食も喉を通るはずがない。極めてショッキングなことであった。
実はその前の1983年頃私はそのビルを訪れていたのである。当時勤務先には営業成績に応じて報奨制度があり、全国から10名程選抜されて研修旅行名目で米国1週間の旅行が20万の小遣い付きでプレゼントされ、10名の内に私も選ばれたのである。当時の為替レートで旅費は80万ほどだったと思う。実はニューヨーク現地法人がそのビルに入っており表敬訪問し現地社員にウオール街のNY証券取引所や当時あったベアスタインなどの証券会社を案内して頂いた。そのワールドトレードセンタービルにある駐在員事務所からは「自由の女神像」を見降ろす絶好の高さにあった。エレベーターを乗り継いで高層階に上るのには驚いた記憶がある。エンパイアステートビルでもエレベーターを乗り継ぎ、不動産王の所有する金色のトランプタワーも案内された。(こちらは車窓から説明されただけ。トランプの名前を初めて聞いた。)エレベータ―を乗り継ぐほどの高層ビルに日本で昇ったことはなく初めての体験であった。NYについてまもなく財布を紛失し、お土産を買うお金が無くなった。そこで現法より200ドルを拝借し、日本に帰ってから返済することになった思い出の場所である。現法には高額紙幣はなく全て1ドル札であり使い勝手は悪かったのであるが幸いなことであった。ホテルに預けていた貴重品ボックスの鍵もなくした。これは同行した通訳に頼んでホテルでボックスのカギを壊し、開けてもらった。そこにはパスポートも入っており、ナイアガラの滝を見学したときには私にはパスポートがなくカナダ領には行けず、他の人たちはミノルタタワーで昼食を摂ったのだが私だけアメリカ領でその辺のお土産店で軽食を食べて、不貞腐れて芝生に寝転んで皆と合流するのを待った。土産物を買うのは200ドルでは足りない。通訳に銀行に付いてってもらいトラベラーズチエックも再発行してもらい何とかお土産を買うことができた。セイフティボックスの鍵の修理代100ドルをホテルに支払った。クレジットカードも通訳に同伴してもらい○○分署で紛失届を出した。帰国してから取引先の銀行に確認するとその紛失届のおかげでクレジットカードは40万分使われていたが保険適用され支払いは免責となった。それにしても現地法人から200ドルを拝借できたのは、地獄での仏の心境であった。現法の米国人社員と記念撮影した楽しい思い出もテロの映像で吹っ飛んだ。
時が移り、隣の家が新築するので後片付けをしていたので覗きに行ったら、素晴らしい表彰状と盾が飾ってあった。よく見ると国連「新しい世紀と子ども願い展」日本代表と書かれている。子供が幼稚園の時に受賞したものだという。表彰状と記念の盾は残されているのだが、絵は遺っていない。理由を聞くと現物はワールドトレードセンターに展示されていたがテロにより焼失してしまったという。父親に絵の内容はと聞くと宇宙船に人間と動物が仲良く乗り宇宙を目指している絵だという。幼稚園児にしては発想がすごい。近い将来地球人が他の惑星に移住するかもしれないほど技術は進んでいる。予見能力もすごい。平成12年(2000年)12月3日に会津若松市教育委員会から教育学術奨励賞として受賞しているのでテロの破壊からほぼ1年前である。私がトレードセンタービルを訪れた17年後に展示されていたのである。
私が子供のころ、小鳥を買うのが級友の間で流行った。それを私の親から聞いた隣の喜三郎じんちゃが鳥かごを手作りしてくれた。150cm四方もある大きな鳥かごで喜んで私は十姉妹のつがいを買ってもらって育てていた。手先が器用な隣のじいちゃんでありいつもニコニコしていて私は怒られたことがない。喜三郎じいちゃんが勝手に私の家の庭に植えていった五葉松は今でも元気である。
そして隣の直幸君が喜三郎じいさんが書いた絵を見せてくれた。
まるで写真の様に精細・緻密である。驚いた。奨励賞をもらった峻君の曽祖父にあたる。絵の上手なのはまさに隔世遺伝なのではないかと父親と話した。村内に喜三郎さんが書いた写真のような肖像画も遺っているらしい。
(文責:岩澤信千代)