🗓 2021年11月12日
本日、湯川村の郷土史研究会から依頼されて講演をしてきました。
新島襄・八重の時代に同志社神学校で学んだ、湯川村勝常出身の兼子重光と自由民権運動についての内容です。近いうちに、HP動画で公開します。その自由民権運動の発端となったのは、薩摩出身の鬼県令と呼ばれた「三島通庸(みつつね)」です。三島通庸は福島県令の後他県の県令を経て警視総監になりました。会津藩家老海老名季昌は山形県から三島の右腕で彼を補佐してきました。若松幼稚園の創立者海老名リンの夫です。その三島の長男は日銀の総裁を務め5男の弥彦は「韋駄天」の金栗四三とストックホルムオリンピックに短距離選手として出場しました。その悪名高き三島県令の孫婿は吉田茂で,玄孫は麻生太郎・衆院議員の堀内詔子と武見敬三も玄孫です。子は親を選べませんが歴史上の人物を祖先に持つと親の七光りといわれたり、林家三平の偉大さに負けて揶揄の対象になっている落語家もいます。
山内幹事長から送って頂いた写真の左側の方が渡部南千子様です。松平容保の子供山田英夫さんのお孫さんです。容保の子供は日大の創立者である長州出身の山田 顕義伯爵の養子となりました。ですから日本大学の創立者である山田家には会津の松平容保の血脈が続いています。
社長
岩澤信千代 様
おはようございます。
11月29日は渡辺宗太商店の名物(限定日本そば)をご馳走になり、
室井市長様、白虎隊記念館長様のアポ等々盛り沢山のスケジュール
調整をいただき、夜の会食まで大変ありがとうございました。
有意義な会津若松の一日でした。
30日は那須町から渡辺南千子様(松平容保公の曾孫、山田英夫伯爵孫)
が来若、大場美弥子様(会津人群像No.41、松平容保の末裔の投稿者)と
博物館でお会い出来ました(写真添付)。
その後、風雅堂にて瞽女を鑑賞して帰りました。
ご多用のところ、お付き合いいただきありがとうございました。
山内裕正