🗓 2021年11月14日
自民党総裁選では候補者から景気の良い公約が連発した。現役の財務次官が官僚ながら「大和魂」が黙っていないとバラマキ批判をした。大変勇気がいることである。岸田内閣のバラマキの実態がなかなか見えてこない、子供に10万円は公明党と調整ができたようだ。「新資本主義」という言葉だけが先行し、中身が見える化していない。
さて、留魂録とは吉田松陰が安政の大獄で刑場の露と消える前に詠んだ和歌である。「身はたとい 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」10月25日と書いてある。この留魂録は心ある人により2通遺った。一通は心酔していた牢名主がふんどしに入れて持ち出した。いわゆる弟子たちへの遺言書のようなものである。2通作成されたが1通は行方不明で、1通が萩の松陰神社が保存している。吉田松陰の松下村塾に学んだ長州の青年たちが、明治の国家を強力に建設したことはだれも否定できないだろう。山縣有朋・伊藤博文など長州藩閥政治は良くも悪しくも近代国家建設に功績があったことを何人も否定できない。伊藤博文などは好色そのもので贔屓の芸者さんを自分の勤める役所に招いて酒を飲んだりしていた。破天荒であったけれども、明治憲法は作った。国会も開設した。
この留魂録を書いたのは10月25日とわかるが翌年の安政6年1月27日に吉田松陰は処刑された。確かに大和魂は彼の信奉者たちによって受け継がれた。「長州と會津の友好を考える会」の山本貞寿会長は絵ハガキでご連絡をくださるが、最近頂いた留魂録の絵ハガキを公開します。吉田松陰の自筆なのでその精神を味わってみてください。
- 最後の文章 「かきつけ終わりて後
心なることの種々かき置きぬ思い残せることなかりけり
呼び出しの声まつ外に今の世に待つべき事のなかりけるかな
討たれたる吾れをあはれと見ん人は君を崇めて夷払へよ
愚かなる吾れをも友とめづ人はわがとも友とめでよ人々
七たびも生きかへりつつ夷をぞ攘はんこころ吾れ忘れめや
十月二十六日黄昏書す 二十一回猛士」
(文責:岩澤信千代)