🗓 2022年08月19日

甲子園で行われる高校野球の歴史は長いが、いまだかって、東北の高校が優勝したことはない。昭和46年第53回大会に「小さな大投手」と言われた田村投手を擁した磐城高校が決勝に進んだが惜敗し、深紅の優勝旗が白河の関を超えることはなかった。福島県勢が準決勝に進んだのは、なんと51年ぶりの快挙である。

高校野球は長い間、西高東低の時代が続いた。さもありなん、東北は冬期間は雪のためグラウンドで練習がままならない。

高校時代私はサッカー部に所属したが練習は雪の上である。当時牛皮でできたサッカーボールは水を含んで膨らんで大きくなり重くなった。夏には高校の合宿所に泊まり一週間ほど卒業生の指導を受けた。飯盛山迄ランニングし、あの石段をうさぎ跳びで上り下りさせられた。特に順天堂大学に進んだOBのK先輩は練習ではなく、まさに後輩いじめ・しごきであった。当時のスポーツ理論では水を飲むことは一切許されなかった。合宿所に帰り食事のあと眠るのだが、きつい練習の後なので全員爆睡である。翌日し朝起きてしごかれ疲れた我々1年生がお互いの顔を見て笑っている。私も仲間の顔を見て笑った。ところがどっこい自分も笑われているのである。鏡を見ると自分の顔もマッカカだ。誰一人被害を受けなかった者はいなかったのだ。意地悪い先輩は、我々1年生が練習疲れで爆睡している顔に赤チンキを塗りまくっていたのである。

今時、こんなバカげた「しごき」は高校球界にないだろうが、「文武両道」が校是のわが母校にはこんなことがまかりとおっていた。そのような猛特訓(?)のおかげで会津地区高校では万年優勝した。私は1年生の時から準レギュラーで相馬市・福島市の県大会に参加した。いずれも初戦敗退、郡山の商業高校や勿来の工業高校には全く歯が立たなかった。1年生の補欠選手は2.3名だったと思う。3年までサッカー部に在籍してもレギュラーにもなれず県大会にも行ったことがない先輩・同級生も多かった。私の中学は2年先輩が県大会で優勝したことがあり、中学時代はバスケット部に所属していた後、高校になりサッカー部に入った同級生などとは基本的に違った技を持っていた。

今年の聖光学院の試合は安心して応援が出来ている。何故か早い回からリードしており、それも大差をつけている。バッターが下位打線迄優秀だ。佐山未来投手のコントロールも素晴らしい。

(福島民友新聞 2022.8.20 掲載)

今年は、白河の関を優勝旗は超えるものと確信する。明日の東北対決は残念だが、東北の高校が決勝戦に進むのは確実だ。原発で打ちのめされた我が福島県の聖光学院高校が優勝する姿を是非とも見たいものだ。

聖光学院優勝の暁には県庁に大きな垂れ幕を掲げられる準備をするように県の関係者に連絡した。健闘を称える巨大な垂れ幕と県知事談話はもう少しだ。がんばれ、聖光学院!!甲子園に高らかに校歌を響かせてくれ。

(文責:岩澤信千代)