🗓 2022年09月24日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

かつて大ヒットした御当地ソングの一つに、さとう宗幸が歌った「青葉城恋唄」があります。その歌詞の中に「ときはめぐり」とあったのを覚えていますか。当初これについて、作詞家の阿久悠から「時は過ぎるものでめぐるものではないから、「季節」という漢字にして「とき」と読ませたらどうですか」という助言があったそうです。なるほど時は過ぎ去るものですから、これは適切なアドバイスといえます(ただし訂正はされていません)。
 こんな問題が生じるのは、日本が四季の変化に富んだ国だからです。暦の上での四季は「立春・立夏・立秋・立冬」で始まります。終わりの日は決められていませんが、次の季節の始まりの前日がそれに当たります。各季節の真ん中は、「春分の日・夏至・秋分の日・冬至」とされています。
 天文学的には、黄道と天の赤道が交わる二つの点が分点で、それが春分点と秋分点つまり春分の日と秋分の日になります。その間を二分した点が夏至と冬至というわけです。ちょうど360度を四等分したことになるので、春分の日を太陽黄経0度とすると、夏至が90度、秋分の日が180度、冬至が270度になります。
 また春分の日と秋分の日は、昼と夜の時間が等しいとされています。それは太陽が真東から出て真東に沈むからです。ただしややこしいことに、日の出は地平線から太陽の上部が姿を見せた瞬間であり、日の入りもやはりは太陽の上部が姿を隠した瞬間とされているので、どうしても太陽一個分(直径)だけ昼が長くなってしまうので、どうしても均等にはなりません。
 一方、夏至は昼がもっとも長く、冬至は昼がもっとも短くなります。夏が暑く冬が寒いのは、太陽の南中高度が夏は高く冬は低くなるからです。それが「暑さ寒さも彼岸まで」という慣用表現を生み出しました。その影響は、夏に短く冬に長くなる影法師にも認められます。もちろんこれは北半球だけにいえることで、南半球ではその正反対になります。丸い地球って面白いですね。
 ところで春分の日と秋分の日を暦で見ると、春分の日は毎年ほぼ3月21日、秋分の日はほぼ9月23日になっています。ほぼというのは微妙に動いているからです。その日、暦には彼岸の中日と書かれています。春分の日・秋分の日を中日として、その前後の3日間(計7日間)がお彼岸です。彼岸の初日を彼岸の入り、彼岸の終日を彼岸の明けといいます。
 春分の日と秋分の日は祝日法で定められており、春分の日は「自然を称え、将来のために努力する日」、秋分の日は「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日」となっています。古く宮中では、彼岸の中日に「春季皇霊祭」「秋季皇霊祭」が行なわれていました。本来、春の彼岸にもお墓参りをするものだったのです。その折に食べたのが「ぼたもち・おはぎ」でした。ただし最近は秋の墓参りが主流で、春の墓参りはマイナーになっているようです。
 彼岸に真っ赤な花を咲かせる彼岸花にしても、春と秋と一年に二度花を付けると思っている人がいるようですが、原則秋にしか咲きません。この花には仏教色のある曼珠沙華という名称も付けられています。秋に「まず咲く」花だからという語呂合わせ起源説は信用できそうもありませんね。
 この彼岸花にはアルカロイド系の毒があり、食べるとあの世へ行ってしまうことから、彼岸花と名付けられたともいわれています。気を付けてください。ただしそれほど強い毒ではないようで、昔はうまく水にさらして毒抜きして食べていたそうです。
 ここでみなさんに質問です。毒のある彼岸花を何故墓場や田んぼに植えたのでしょうか。不思議に思ったことはありませんか。実はその毒こそがヒントになります。かつては土葬が一般的でした。埋めた遺体を動物に荒らされないようにと、毒のある彼岸花を墓場に植えたそうです。同様に田んぼの稲を害獣から守るため、畦道に彼岸花を植えたとのことです。その効果があったのかどうかは聞いていません。