🗓 2022年11月12日
吉海 直人
みなさんは「うまい」と「おいしい」の違いがわかります。これは味覚というより言葉の問題です。意味の違いでも用法の違いでも、歴史的変遷でもかまいません。いかがでしょうか。たとえば「うまい」は男性的あるいはぞんざいな言葉で、「おいしい」は女性的あるいは丁寧な言い方と答える方もいらっしゃるでしょうね。その答えで間違ってはいませんが、ではどうしてなのでしょうか。
それはどうやら「おいしい」の言葉の成り立ちに秘密があるようです。というのも、「おいしい」の「お」が軽い敬意を表す接頭語だからです(「おうまい」とはいいません)。「お」を除くと「いしい」が残りますが、普段「いしい」なんて口にしませんよね。
これは古語の「いし」という形容詞がもとになった言葉でした。かつては広く「良い」(いい)という意味で用いられていました。食べ物の古い例としては、中世の軍記物『太平記』の中に、
という狂歌が記されています。「とき」は「土岐」と「斎」(食事)の掛詞です。「周済」にも「酢菜」(漬け物)が掛けられています。兄の土岐頼遠が死罪となり、弟の周済(土岐頼明)は死罪を免れたという内容を盛り込んだ狂歌です。
それが室町時代以降は女房詞として定着したらしく、『日葡辞書』の「いしい」項には、「おいしい、あるいは良い味のもの。この語がこの意味で用いられる時は通常女性が用いる」と出ています。これによって室町時代には、食べ物に限定された女房詞になっていたことがわかります。
ところで、みなさんは「いしいし」という言葉をご存じでしょうか。かつて女房たちがお団子をおいしく食べていたことから、「いしいし」は団子を意味する女房詞になっています。室町時代の『御湯殿上日記』に「御いしいし」と出ていますし、樋口一葉の『十三夜』にも、「お月見の真似事にいしいしをこしらえて」と出ているので、明治期までは女詞として使われていたことがわかります。
というわけで、「おいしい」が室町時代以降に女房詞として使われていたことから、対照的に「うまい」が男性言葉に位置づけられたのでしょう。もちろん古語の「うまし」はそんなぞんざいな言葉ではありませんでした。という以上に、「うまし」は「いし」よりずっと古くから用いられてきた言葉でした。既に『万葉集』に「飯食めどうまくもあらず」(3857番)と出ているからです。
ただし食べ物に用いられた例は案外少なく、『万葉集』にはこの一例しか見当たりません。それとは別に、「うま酒」(旨酒・味酒)という用例が『日本書紀』『万葉集』にありました。しかも「うま酒」は「三輪」「三室」にかかる枕詞となっています。この用法があることで、「うまい」は酒を修飾する時によく用いられるのでしょう(「美酒」は平安後期以降)。
それに対して「いし」が庶民化したのは、「いしい酒でおりゃる」(江戸時代の狂言「比丘貞」)まで時代が下ります(これも酒に用いられていますね)。ここからいえることは、「いし」が一般化するまでの間、「うまし」だけしか使われなかった長い時代があったということです。
ついでながら「おいしい」という言葉は、原則として食べ物にしか使いません。もっとも最近は、「おいしい話」などと比喩的にも使われていますが、それは先に「うまい話」という言い方があって、それに引きずられてできた表現のようです。ということで、「うまい」には古くから食べ物以外にも複数の意味用法がありました。たとえば上手・たくみ(巧い)の意味(反対語は「下手」)もあるし、物事がスムーズに進む場合にも使います。その一つが「うまい話には気をつけろ」だったのです。
私は現在奈良に住んでいますが、JR東海は2006年から奈良観光のキャンペーンに、「うましうるわし奈良」を使っています。この「うまし」は「すばらしい・美しい・良い」といった意味です。よく知られているのは『万葉集』の、「うまし国ぞ蜻蛉島大和の国は」(2番)ですね。これは舒明天皇が天の香具山に登って国見をした際に詠まれた国褒めの歌です。おそらくこれが広がって、食べ物にも使われるようになったのでしょう。漢字では「旨い・美味い・甘い」と書きます。「美味い」は味覚にしか使いませんが、「旨い」「甘い」は食べ物の味以外にも広く使っています。「甘し」はもともと味覚語でした。古く砂糖などが貴重品だったことから、「甘い」ものは「うまい」ものと認識されたのでしょう。さらに時代が下ると、視覚・聴覚・嗅覚などにも用法が広がっています(甘いマスク・甘い声・甘い香り)。
最近は男性でも「おいしい」というし、女性でも「うまい」を口にしているので、だんだんその違いがわかりにくくなってきているようですが、「うまい」にはこんなに長い歴史があったことを忘れないでください。なんだかおいしいものが食べたくなってきましたね。