🗓 2023年01月25日
昭和58年に刊行された歴史読本「家康覇王への道」を今読み返している。その中に北島正元氏の「江戸幕府」の試算が引用されていた。金470箱、銀4553箱、銀銭57行李で金に換算すると98万両にあたるという。金銀あわせると200万両になるという。これは将軍職を秀忠に譲って大御所になった駿河遺産だ。これとは別に江戸幕府に遺した400万両があり、合計すると将軍家の個人資産として600万両を残したことになる。その他に「駿河御分物御道具帳」に茶器や刀剣、能面など夥しい物品が記録されていたという。駿河遺産については秀忠は受け取らず御三家の義直、頼宜、頼房に分け与えたというが、それにしても徳川家には膨大な家康の遺産が残った。だが華美な財政で元禄時代頃になると徳川家の収入は天領から上がる年貢のみの収入になってしまったという。密貿易で稼いだ薩摩藩と比べて幕末には貧乏になっていたのだ。そこに黒船がやってきた。3000人いたという大奥にも問題があったが、財政家が江戸幕府にはいなかった。ただ、家康が270年間戦争のない平和な時代(パクストクガワ―ナ)を築いたことは世界には例がないのも事実である。
(文責:岩澤信千代)