🗓 2023年03月13日
廣澤安任は会津藩の秀才である。昌平黌の舎長(寮長:学問だけではなく人望もないと選ばれない)もやり、全国の藩に知り合いも多く、会津藩落城の時も重要な働きをした。戊辰戦争後薩摩の大久保利通に官僚となり国家に尽くしたらと勧誘を受けたが「野にあって国家に尽くす」と青森県三沢市に近代的な牧場を経営した。その牧場の成果を見に明治天皇が行幸したほどだ。
本会の会員である筒井氏の祖父の兄が安任の本家(兄安連家の養子)になった三沢牧場のあった記念館に筒井家の名が刻んである古川兼定の刀が展示されているのを見て驚いた。会津から守り刀として持参したのだろう。
鳥羽伏見の戦いに敗れ廣澤安任は元会津藩邸に幽閉された。我が物顔に使っていた藩邸が牢獄になるという悲憤の程はいかばかりであったろう。その時に詠んだ漢詩を見つけたので載せます。(1983年星亮一:会津藩の人々)
(文責:岩澤信千代)