🗓 2023年08月05日
吉海 直人
前に関東と関西の違いを述べたことがある。その折も関東の「がんもどき」が関西では「ひろうす」と呼ばれていることを指摘した。これは私が東京から京都に赴任した時の実体験である。ただその時は、呼び名が相違しているということだけ指摘して、それ以上深めることを怠ってしまった。
ところが後になって、その程度の指摘では済まない問題を抱えていることを知った。それは「ひろうす」や「がんもどき」の歴史を調べることで浮上してきたことである。どちらも江戸時代以降に広まった言葉というか食べ物のようだが、「ひろうす」に関してはポルトガル語とする起源説が存している。
それはfilhos(フィリョース)で、約400年前に書かれた『南蛮料理書』には、小麦粉と卵を混ぜて油で揚げた南蛮菓子として紹介されている。また『紅毛雑話』(1787年)にも、「油揚の飛龍頭は、ポルトガルの食物なり。ひりうづは彼国の語のよしなり」と記されていた。要するに、戦国時代にポルトガルから伝来したフィリョースは、豆腐料理ではなく菓子だったことになる。
そのことは『合類日用料理抄』(1689年)にも、「ひりゃうす、麦の粉か米の粉にてよし。」云々とあり、材料が豆腐ではなく小麦粉や米粉になっていることからも察せられる。同じく『和漢精進料理抄』(1689年)に、「ひりゃうす、是はたうふ一丁よくすり、ごぼう、木くらげをしらがにきり、あさのみ少入、葛を粉にしてよくまぜあわせ、かやのあぶらにてあげる也」と豆腐料理として紹介されているので、その頃二つに分化していたことになる。
それに対して「がんもどき」は、最初から豆腐料理であった。俳諧「うたたね」(1694年)に「僧の喰う名に罪抜きぬ雁もどき」とあるのが初出とされている。これは肉食を禁じられている僧のために、雁の肉にもどいた「もどき料理」(精進料理)として考案されたものである。ただ「がんもどき」にしても、古くは蒟蒻や麩を使っていたとされているので、豆腐料理になったのはもう少し後のことである。
この「ひろうす」と「がんもどき」が、豆腐を油で揚げた料理となった時、今度は両者の混同が生じたのであろう。『守貞漫稿』(1853年)には、「京阪にてひりゃうず、江戸にてがんもどきと云。」と出ている。このように、関東と関西で呼び名が違うということが話題になったのは必ずしも単品としてではなく、「おでん」の具となってからであろう。実は「おでん」という料理も、関東では「おでん」だが、関西では「関東炊き」と呼び方が異なっている。「おでん」と「関東炊き」、さらに「がんもどき」と「ひろうす」と異なる呼び名が二重になっていたのである。
これでいうべきことはすべていったと思っていたところ、思わぬ落とし穴が見つかった。それは何かというと、「ひろうす」「がんもどき」以外に、「丸山」「丸揚」「三井寺」という別称の存在がわかったからである。特に富山県の方言として、ごく狭い地域で用いられているとされている。なぜ「丸山」なのかというと、長崎の遊郭「円山」が起源だという説もあれば、京都の「丸山」に豆腐の専門店があったからという説もある。また形がアンパンのように丸いからという単純な説もあって、結局のところよくわからない。
それだけでなく、富山県には「丸山」のことを「丸揚」と称する地域もあるそうだ。「丸揚」というのは、切らないでそのまま油であげることである。この「丸揚」は、なんと静岡でも「がんもどき」の方言(別称)として紹介されている。その他、石川県の一部では「がんもどき」のことを「三井寺」と称するところがあるそうだ。滋賀県にある三井寺が、どうやって「がんもどき」の別称になったのだろうか。もう一つ、「がんもどき」のバリエーションとして、「がんもどーふ」「がんどーふ」という呼称も使われているとのことである。これは材料が豆腐になってからのものであろう。