🗓 2024年02月03日
吉海 直人
今年70歳の私がまだ子供だった頃、テレビの天気予報では地域を表日本と裏日本に分けて説明していました。新聞の天気欄でもそうだった記憶があります。この「表・裏」は単なる自然・地理用語だったのかもしれませんが、なにしろ表と裏には心的格差が含まれているのでただでは済みません。首都である東京を中心とした地域が経済的に発展していくと、必然的に「裏」には劣勢の意味(格差)が発生するからです。特に第二次世界大戦後の復興・成長期に、国が太平洋工業ベルト地帯(京浜、中京、阪神)の形成に力を入れた結果、産業構造・人口構造が太平洋側に片寄ってしまい、日本海側との人口格差が急拡大してしまったのです。
裏日本と称された新潟以西の北陸・山陰の人たちにとって、「表」という言い方は東京人の奢りであり、「裏」と呼ばれる側にとっては許しがたい侮蔑的な表現だとして反発が強まりました。裏の付く熟語には裏金・裏切り・裏目・口裏・裏工作・裏街道・裏社会・裏口入学などマイナスの要素が含まれているものが多いからです。そのため昭和五十年以降、新聞・テレビでは表裏という差別を自粛するようになりました。いわゆる放送禁止用語・差別用語として扱われるようになったのです。替わって登場したのが太平洋側・日本海側という表現でした。これなら単なる地域の呼び方ですね。
それが今日まで使われ続けているわけです。ただ一時期、韓国や中国からクレームがあったようにも記憶しています。ところが日本海の西側はロシアや中国・韓国とも接しています。特に韓国は日本海という言い方を認めたくないようです。それを容認したら日本海は日本の領土だと認めることになりかねないからでしょう。日本海という名称は外交的にやっかいな問題をはらんでいたのです。「環日本海」という言い方も同様です。もちろん裏日本にしても日本海側にしても、気象としては明らかに表日本・太平洋側とは異なる特徴がありました。特に冬の日本海側は雪が多く、晴れる日が少ないことがあげられます。そのためでしょうか、寒い・暗い・豪雪といったややマイナスのイメージが付いて回ります。それが「裏」とマッチしたのです。
ところで天気予報では、天気を大きく三つに分けていますね。それは「晴れ」と「曇り」と「雨」(雪)です。「晴れ」というのは空に雲が少ないことですが、雲の量を十とした時、雲が一割以下なら快晴、二割から八割なら晴れ、九割を超すと曇りとしています。では雨はというと、雲の量とは関係なしに、まさに雨が降っていれば雨だそうです。そのためでしょうか、例えば新潟では雨や雪が止んだら、それを「晴れた」というそうです。もちろん気象用語の「晴れ」ではありません。たとえ空がどんより曇っていても「曇り」とはいわずに「晴れた」というからです。これは天気予報の誤用というより天気予報の用法とは異なる用法、あるいは一種の方言といっていいかと思います。
晴れの少ない日本海側ではそのいい方が受け入れられたのでしょう。徐々に他県にも広がっていきました。しかも多少拡大解釈されたようで、雨が止んだ時だけでなく、雨や雪が降っていない時までも、「曇り」といわずに「晴れ」と称するようになったようです。先日、天橋立に行った時にそんな話題で盛り上がりました。つまり日本海側では「曇り」というあえて言葉を用いず、いわゆる「曇り」を「晴れ」の範疇に含ませているのです。その際「うらにし(浦西?)」という特殊な気候のことも知りました。これは丹後半島だけに見られる気象で、西風が吹くと急に雨が降る(天気が変わりやすい)ことをいうそうです。そのため「弁当忘れても傘忘れるな」と言い伝えられているそうです。今では新潟のみならず、富山でも京都の宮津でもこの「晴れ」が通用するので、まさしく日本海側独特の気象のとらえ方ということになります。狭い日本にもこんな気候の違いがあったのです。
そもそも「裏日本」という言葉は、どうやら矢津昌永という地理学者が書いた『中学日本地誌』(明治28年)に最初に登場したとされています。それ以前は日本海側のことを「内日本」、太平洋側のことを「外日本」と称していました。実は歴史を繙いてみると、江戸時代より以前の古代日本においては、逆に日本海側が日本における「表日本」の役割を果たしていました。というのも現在の日本は西欧に向いていますが、古くは中国大陸側に向けて開かれ、海外貿易が盛んに行われていたからです。当時の航海術では、太平洋側に外国船が訪れることなどありませんでした。
つまり日本海側が裏日本と称されるようになったのは都が東京に遷都した明治以降、もっといえば第二次世界大戦敗戦以降ということになりそうです。というのも明治26年の道府県別人口(総務省統計局データ)を見ると、新潟県の人口は1704千人で、二位の東京(東京市を含む東京府、160万8千人)を抜いて全国一位だったからです。「裏日本」は案外新しい概念だったのですね。