🗓 2024年12月28日

吉海 直人

みなさんは「ちょこざいな」という言葉を口にしたこと、あるいは耳にしたことがありますか。漢字で「猪口才」と書かれていますが、これは宛て字です。お酒を飲む時に用いる「お猪口」とは何のかかわりもありません。
 意味として、「ざい」は才能の「才」でよさそうです。「ちょこ」はというと、「ちょこっと」つまり「ほんの少し」ということです。合わせるとわずかな才能になるので、「小才」「小才覚」を「ちょこざい」と読ませているものもあります。そこから「小賢しい」とか「小生意気」「差し出がましい」と訳されています。特に「小賢しい」は、語の成り立ちが近似していますね。少しばかり才能があるからといって、小生意気な態度を取るな、得意顔をするなということのようです。
 ではどういう時に使われるかというと、ほぼマイナスというか相手を罵倒する発言になっています。内実としては、「自分よりも才能がない(劣る)と思っている人が、いかにも才能があるように振るまっていることを生意気と感じる」時に、相手を非難する意味で口にします。ですから、もともと自分よりも実力が上だと思っている相手には使いません。要するに、相手を下に見ている場合にだけ使う限定的な言葉(ある種の差別語)ということになります。となると大人と子供、親と子、男と女、兄と弟、先輩と後輩、老人と若者、プロとアマ、先生と生徒などのケースが考えられます。
 その言葉の歴史を調べてみたところ、江戸時代以前の用例はなさそうです。『日本国語大辞典第二版』で一番古いのは、『浄瑠璃女殺油地獄上』(一七二一年)の、

ヤちょこざいなけさい六、ゑらぼねひっかいてくれべい。

です。「けさい六」というのは「毛才六」のことで、青二才をののしっていう語です。江戸の人が大阪の人をののしって使うこともあるとのことです。

その発展形として、「死に猪口才」や「生猪口才」もありました。同じく『日本国語大辞典第二版』には、『浄瑠璃万戸将軍唐日記三』(一七四七年)の、

呑ふが酔ふがおれが体はおれざんまい。死ちょこざいな構いおるまい。

が掲載されていました。また「生猪口才」はこれも『浄瑠璃祇園女御九重錦』(一七六〇年)に、

順礼道者の分際、なまちょこざいとは思へ共、

云々と出ていました。「死に」や「生」は「猪口才」を強調しているというか、語調を整えているのでしょう。用例のすべてが浄瑠璃の用例なので、これは浄瑠璃特有のののしり言葉だったようです。

それが明治以降も用いられており、幸田露伴の『五重塔』には、

我の仕事に邪魔を入れる猪口才な死節野郎。

とありました。「死節」とは植物用語で「生節」の反対です。ここでも相手をけなすために用いられています。

とここまで語の歴史をたどってきましたが、今一つぴんときません。では私たちの記憶に残るような強烈な使用例はあるのでしょうか。探してみたところ、吉川英治の『宮本武蔵』など、時代劇のセリフに比較的多用されていることがわかりました。という以上に強烈なのは「赤胴鈴之助」というマンガのようです。これがテレビアニメとして放送された際、主題歌の始まりに、

ちょこざいな小僧め、名を名乗れ!
赤胴鈴之助だ!

というやりとりが繰り返し流されたことで、子供たちはみんな真似をしました。この主題歌が流行したことで、日本中に「ちょこざいな」という言葉が浸透していったのではないでしょうか。

もしそうなら、これはもはや時代劇の好きな老人男性の限定用語になっている可能性があります。また「赤胴鈴之助」を考慮すると、単なるののしり語では済みません。というのも赤胴鈴之助は、大人にだって負けない剣の使い手なのですから。となると、見た目に左右され、相手の真の実力を見抜けない人の安直なものの見方ということになります。それならいっそのこと、芝居がかったセリフ回しにしたらどうでしょうか。