🗓 2025年10月11日
吉海 直人
『万葉集』の歌人である柿本人麻呂を祀った社や祠は、全国至る所にあります。一説には、北は北海道から南は九州熊本まで、二百数十カ所に祀られているとのことです。しかも神社だけでなく、柿本寺(しほんじ)という名称で、人麻呂を祀っているお寺も少なからずあります。その大まかな分布として、西日本には比較的多く、逆に関東以北には数が少ないようです。ただし関東でも、栃木県だけは社が四つもあるそうです。
西日本にある人丸社の分布状況をさらに詳しく調べてみると、関西では兵庫県に七つ、奈良県に三つ、そして島根県に五つありました。これらは人麻呂の人生との関わりのある県ですから、当然ですよね。面白いのは山口県に何故か十五も集中していることです。
この中で一番有名なのは、兵庫県明石市にある柿本神社です。住所表記を見ると、人丸町となっています。柿本町・人丸町という地名が、神社の立地条件の要素だともいえます。また明石の柿本神社の傍には、人麿山月照寺があるように、神社と寺が隣接しているケースもたくさんあります(神仏習合)。
石見(島根県益田市)鴨山で亡くなったとされる柿本人麻呂は、当然、高津町にある高津柿本神社の御祭神として祀られています。また戸田町には戸田柿本神社もあり、御廟所には遺髪が収められたとされています。高津が終焉の地であるのに対して、戸田は生誕の地であるとされており、そのため二か所に神社があるというわけです。戸田柿本神社には、南側に大和郡山藩主・松平信之によって「柿本大夫人麻呂之墓」と刻まれた石碑も建立されています。
人丸神社が日本全国に広がっている理由の一つは、石見が和紙の名産地(石州和紙)だったことから、人麻呂が和紙の製法を全国に伝えたとされていることがあげられます。そしていつしか人麻呂は、殖産の神様として祀り上げられていったのです。そればかりではありません。中世の「人丸」という表記は「火止まる」と通じることから、防火の神様(火事除け)として信仰の対象となり、多くの社・祠が作られました。また火を扱うことから、たたら製鉄に携わる職人たちの信仰も受けているようです。逆に人麻呂は水死刑に処せられたという伝説があることから、いつしか水の神様(竜神)としても祀られており、水難や漁業従事者の信仰も受けています。
なお『万葉集』で人麻呂が妻の死を悼む歌を詠んでいることから、夫婦和合の神様あるいは縁結びの神様としても信仰されています。加えて言語遊戯的に「人生まる」とも通じることから、安産の神様としても信仰されました。ご利益の拡大も面白いですね。
前述の明石の柿本神社では、眼病平癒の神様としても信仰されています。それは目の見えない人がお参りに来て、
歌を踏まえて、
と詠んだところ、たちどころに目が見えるようになったことによるそうです。これも明石が「明かし」の掛詞であることに起因しているようです。こういった言語遊戯を伴う御利益によって、人丸信仰はさらに全国的な広がりを見せたのです。それとは別の伝承として、人麻呂は実は四国の土佐で亡くなったという説もあり、愛媛県のぼや森という峠に柿本人麻呂の墓を建てたという伝承もあります。
奈良県葛城市の近鉄御所線の新庄駅近くにも柿本社があり、その境内にも松平信之による「柿本大夫人麻呂墓」の墓石が建っています。ここは人麻呂の生誕地ともされるところで、そのため石見で亡くなった人麻呂の骨を分骨しているという伝承まであるそうです。住所表記を確認すると、やはり柿本町となっていました。かつて日本に渡来した和爾氏が、柿本姓を名乗って暮らしていた場所だとも考えられています。そしてここにも柿本山(しほんざん)影現寺(ようげんじ)がありました。
なお、福岡県粕屋郡新宮町にも人丸神社がありますが、これは平景清の娘・人丸姫を祀ったものなので、本来柿本人丸とはまったく関係ないものでした。