🗓 2025年11月17日

洋泉社MOOK「女たちの幕末・明治」で二人の女性に目が留まった。

1人は小栗道子である。夫小栗忠順は幕府の外国奉行・海軍奉行など要職を務めた。横須賀に本格的な造船所を作った。江戸城開城を前に徹底抗戦を主張したために徳川慶喜に罷免された。江戸の屋敷を引き払い、群馬県高崎市内の知行地権田村に引き移った。が官軍から危険視されて捕縛され斬首された。その前に母と妻道子と養女よきこを会津に逃がした。1ヶ月かけて会津にたどり着いたのだが、その時身ごもっていた道子は会津でクニ(女子)を生んだ。明治19年(1886年)に亡くなったのだがクニは縁あって大隈重信に引き取られて養育された。大隈重信の妻綾子が小栗忠順の従妹だったからである。

もう1人は佐久間象山の妻順である。勝海舟の妹であるが、兄の意向で師の二回り以上年の差がある佐久間象山に嫁がされた。象山が京都で暗殺された後、敵討ちの依頼をした関係で山岡鉄舟の弟子の村上俊五郎という暴れ者と再婚した。その後離縁した。

もう一人いた。坂本龍馬の妻「お龍さん」である。寺田屋事件で風呂に入っていた龍が素っ裸で捕手が来たことを龍馬に知らせて危機から救ったことや初めて鹿児島に新婚旅行に行ったことは有名である。龍馬が暗殺された後、坂本家に世話になっていたが、維新後は京都・東京を転々としていた。明治8年西村松兵衛と再婚し横須賀で暮らした。松兵衛が募金をし、横須賀の信楽寺(しんぎょうじ)に建立した墓碑には「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれている。松兵衛も偉い。自分の名前ではなく「英雄の妻」として後世に残した。最も無名の松兵衛之妻では「お龍さん」とはわからない。

(文責:岩澤信千代)