🗓 2026年02月07日

吉海直人

昨年(令和7年)の節分は2月2日でした。今年(令和8年)の節分は2月3日になっています。どうして去年と今年とで節分の日付が異なるのでしょうか。実は節分は3日に固定されているわけではありません。それよりもっと重要な要素となっているのが立春でした。

その立春にしても、単純に2月4日に固定されているわけではありません。それは国立天文台が厳正に太陽黄経の角度が315度になる日を定めて発表するものだったのです。普通は2月4日ですが、日付が3日や5日にずれる可能性もあります。ということで昨年は立春が3日だったのです。それに連動して節分が前日の2日になったというわけです。旧暦で満月は常に15日だと思っている人が多いかもしれませんが、これも16日が満月ということも少なくありません。藤原道長が「この世をば」と詠じたのも16日の満月でした。

要するに立春は暦にはめ込まれていたわけではないのです。それに連動する節分というか、節分に付随する年中行事は、旧暦から新暦への変更によって泣き別れしたものもあります。たとえば立春が正月の始まりだった昔、節分は大晦日に該当しました。ですから古くは大晦日の行事として追儺(鬼やらい)が大晦日に行われていました。

それが正月と決別して、現在は立春の前日に行われています。本来は新年を迎えるための行事だったものが、今は新年とは切り離されたものとして行われているのです。それに付随しているのが初夢でした。初夢ですから新年の行事の方がふさわしいはずです。ただし初夢にしても、日付の変更というか微妙な揺れがありました。ですから人によって地域によって、初夢の日は混沌としているのです。

本来は節分から立春(新年)になる夜に見るのが初夢でした。これが一番妥当ではないでしょうか。それが江戸時代になると、元日から2日になる夜に見るものとなり、さらには2日から3日になる夜に見るものへと変化しています。明治になって旧暦が新暦に変更されると、立春の前日を節分とすることになったことで、節分と立春の間の夜に見るのが初夢になりました。

それに連動するのが宝船です。宝船は初夢を見る際、印刷された宝船図を枕の下に入れることで、縁起のいい夢を見ようとしたものです。その宝船図には原則、

  長き夜の遠のねぶりのみなめざめ波乗り船の音のよきかな

という歌が記されていました。これはいわゆる回文で、上から読んでも下から読んでも同じ詞章になっています。寝る前にこの歌を三度唱えて寝ると吉夢を見るとされていました。もっといえば宝船の効用は、仮に悪い夢を見た時、宝船を川に流せば悪い夢も流せる(縁起直し)というものです。

昔は宝船売りがおり、その日に宝船を出張販売していました。現在の京都の寺社では、節分の日にだけ宝船を配布する風習が残っています。特に五条天神社の稲穂を載せたシンプルな宝船は、古くから有名でした。この稲穂は実りの象徴ですが、実は「長き夜の」の歌の中にちゃんと「みのり」も詠み込まれています。どこだか確認してみてください。

いかがでしょうか、旧暦から新暦に変更されたことで、暦が一か月以上早くなってしまったこと(正月が寒くなったこと)、それに伴って旧来の行事を新暦でやるか旧暦でやるかという選択が行われていること、加えて立春が新暦や旧暦では決められず、天文台に頼って決定されていること、そして節分は豆撒きだけの行事ではなかったこと、初夢の日が移動していること、おわかりいただけたでしょうか。これが分かれば日本文化の面白さが倍増するはずです。

さて今年の2月3日、是非宝船図を枕の下に入れて寝てみてください。きっといい夢が見られるはずです。なお豆撒きについては、「「節分」について」『古典歳時記』(角川選書)で書いています。また「鰯の頭」については『暮らしの古典歳時記』で述べているので参照してください。